2017年8月21日月曜日

熱い問題作『アシュラ』キム・ソンス監督に会う (2/2)


[ 2016.10.09 ] EXTREME MOVIE(インタビュー日時:2016.10.05)
http://extmovie.maxmovie.com/xe/14770683

このインタビューは、映画のネタバレを含みます。

熱い問題作『アシュラ』キム・ソンス監督に会う (1/2)より続く

俳優達と組めて幸せだったようだ。

面白かった。ファン・ジョンミンとは常日頃から一緒にやってみたかった。それで普段から周りの人々を通じて、そういう意思を直接・間接的に伝えた。クァク・ドウォンはやらないと言っていたが、私が2ヶ月にかけて説得した。本人も、彼の周りの人々も、所属事務所も彼を止めた。彼を有名にさせたキャラクターと似ていると感じたはずだ。

私は「権力を持つキャラクターという点では似ているが、その権力の外套を脱がせると、実体は本当にくだらない人、最低な野郎が出てくる。そんな素顔が全部さらけ出されるところを見せてこそ、あなたの演技の句読点が打てるはずだ」と言って説得した。

そこが『犯罪との戦争』(邦題:悪いやつら)などの検事キャラクターと違っていた。

最後は本当に見事だった。

ファン・ジョンミンと組みたかった理由は何なのか?

彼は感情線であれ、特定の人間の姿であれ、まったく異なる沸点を一つのショットの中で見せてくれる特異な俳優だ。演技者はある一つの瞬間にある役割を忠実にこなすべきだが、一瞬の間に起こる変化のようなものを本当にしっかり描写してくれる人がファン・ジョンミンだと思っている。表情を瞬時に行ったり来たりさせるためには物凄いエネルギーが要求される。魂の中心点を動かせてこそ可能な事だが、彼はどうやってあんなふうに神がかった巫堂(韓国のシャーマン)のようにやってのけるのやら…

今回、『哭声』で巫堂の演技をした。(笑)

元々のシナリオではパク・ソンベもまた別の悪の下手人だったが、結局はアンナム市のみを背景にすることにして、彼を悪の頂点に立たせた。二重性のあるキャラクターの演技がとても上手くできるだろうと期待した。

クァク・ドウォンは、短編映画に出ていたときから上手いと思って目を付けていた。ミジャンセン短編映画祭で会ったとき、助演の演技をしたことを褒めた。あとで『アシュラ』に出演することを決めたのは、あの頃、演劇俳優として暮らしていたときに自分が出た短編を最初に褒めてくれたのが私だったからだと言っていた。それで内心「善良に生きなくちゃな」と思った。(一同笑)善の業を積めば、それはすべて返ってくる。悪いことをしてまわっても同じだ。(今は)私が働いた悪さが返ってきているようにも思える。

『犯罪との戦争』でクァク・ドウォンは、まるで近所のサッカー試合にメッシが現れたかのように、演技の天才のように見えた。(笑)実際に見ると物凄い練習の虫だった。私が見た俳優の中でも想像を絶するほどの。即興的に演じる人だろうと思っていたが、すべてが徹底的な計算と練習から生まれるものだった。

クァク・ドウォンはかつて短編映画では地味なおじさん役でよく出ていた。ファン・ジョンミンとクァク・ドウォンは他の俳優がやることを躊躇する演技を、存在の性質として上手く表現する。ファン・ジョンミンはまともな人のように登場して下卑た印象を与えたり、クァク・ドウォンは堂々としていながら卑劣に見える姿をしっかりと見せてくれる。

頷ける表現だ。二人はそれぞれ違っていながらも特異な俳優達なので、見ていて不思議だ。俳優が、ある役割をこなすということは、自分自身から出発して、あるキャラクターへ向かっていくということだ。ところがファン・ジョンミンとクァク・ドウォンは、出発点がすでに中間辺りの地点に投げ込まれた状態で進むので、より速く、深く突き進む。自らをそんな風に投げ出すことは簡単なことではないのだが。

クァク・ドウォンは自分のキャラクターが固まりそうで最初は出演を固辞したというが、一方では、60年代の韓国ノワール映画の中でホ・ジャンガン、トッコ・ソン、ファン・ヘなどがそういった特定のイメージで知られていた。今はそんな俳優がいなくて残念だ。ファン・ジョンミンの場合、現在のキャラクターに似た姿を見せ始めたのが『死生決断』(2006)からだ。『アシュラ』以降も似たノワール映画が続くなら、シリーズならぬシリーズの中で自らのキャラクターを刻み込み、イメージを構築していくのも悪くないと思う。

そうだ。ジャンル映画が絶えず作られ、花開くためには、そういった役割を務めてくれる俳優達が必要だ。ただ、クァク・ドウォンは自分の代表作達に出てきたキャラクターと似ているから固辞したわけなので、十分に理解できた。彼がどうしてもできないと言うから、ハン代表も諦めて他の俳優達と接触したりもしたが、私はぜひとも彼であってほしかったので「私が君の立場でもやらないと思う。しかし、やってもらえないだろうか?」と言って説得した。今回の映画で学んだことが「最後まで頼み込もう」だ。(一同笑)

『アシュラ』を好きな観客として、クァク・ドウォンのキャラクターの素顔が表れる場面がすごく好きだった。

ありがたい。喜んでもらえるという確信があった。クァク・ドウォンが演じたキャラクターはテストが上手くて、他人より勉強ができて検事になった人物だ。私は勉強ができなかったので、勉強ができる連中が嫌いだった。非人間的だから。(笑)勧士(韓国の教会で一般信徒の中で重要な役職)だった母に付いて教会に行くと、「われわれを試みに遭わせないでください」と言っていたが、人間には試験というものがそれだけつらいのだ。いくら愛する女性でも、その女性が「私の事が好きな理由を三つ挙げてみて」と言うと気が狂いそうになる。(一同笑)私は、試みに遭う状況に至らないようにしてくれと祈った。テストの上手い連中は人間的な躊躇、戸惑いがない連中だ。実力はあるがテストは下手な人が立派な人だ。テストばかり上手くて高い地位に登ると、下々の人を蔑み、「私はお前達の上に君臨する。お前達は犬、豚だ」と言うというわけだ。もちろん皆が皆そんなふうではないだろうが、その組織内において権力ゲームの勝者となった者達の外皮を脱がせてみると、呆気なく跪く存在だということを見せたかった。

クァク・ドウォンがあまりにも上手く演じてくれた。自分はハン・ドギョンをビデオで脅迫して跪かせておきながら、あとでパク・ソンベが自分の腕を切ろうとするときに跪き、また、女性職員を殺せという指示にそのまま従おうとする。「検事がそんなことをするか?あり得ん」という反応もあったが、私はその場面を撮るのが面白くて、気分爽快だった。(一同笑)映画とはそういう醍醐味があるべきではないのか。

死にゆきながら「エンビュランスを呼んでください」と言う台詞からも、快感が感じられた。普通、葛藤する態度を見せたりするものだが、この映画では断固と思えるほどに何の罪悪感もなく行動するところが映画的に思えた。

その場面を撮るとき、クァク・ドウォンが私に、「キム・チャインに憐憫がありますか?ないですか?」と聞いた。それで私は「女捜査官が、まさか私を殺しはしないでしょう?という目線を送るが、キム・チャインはそれに何ら影響を受けない。素早く実行に移す」と話すと、クァク・ドウォンは「当然そうすべきですよね」と答えた。(一同笑)

監督として恥ずかしかった場面があった。パク・ソンベが自分の腕を切ろうとする場面で、実際にタイで使うジャングルナイフを用いて近接ショットを撮った。そこで、ファン・ジョンミンが本当に切ろうしているように演じていたのだ。不安のあまり「パク・ソンベが本当に切ろうとしてるわけじゃないですよね?」と言ったら、「当たり前じゃないですか、監督。正気ですか?自分の腕を切るわけないでしょ」と咎められた。ファン・ジョンミンはパク・ソンベの立場となって、切るふりをしただけだろうと思いながら演じたと言ったが、編集しながらも、本当に切ろうとしてるんじゃないかと思えるほどだった。ファン・ジョンミンは本当に演技が上手い。(笑)

ウンザリしながらも、とことんまで行く男達

6~70年代の韓国ノワール映画が好きで、90年代に入るとチャン・ヒョンス監督が撮った『ゲームの法則』(1994)が秀作だと思っている。

イカした映画だ。

キム・ソンス監督が今回、再び男の映画を作ると言ったとき、チャン・ヒョンス監督の後輩かつ最近の監督達の先輩として、プライドを懸けているだろうと予想した。最後にキャラクター達を皆殺しにするのを見て、韓国ノワール映画の総まとめをする意図があるのではないかと思った。

私が監督として下降線をたどっていたので、そういった野望が秘められていたのだろう。そんな考えをはっきりと持って撮ったわけではないが、意図というものは常に自分でも気づかないうちに、眠気のように染み込んでくるものだから。

そういった意味で、『武士』(2001)についてはどう考えている?

私が場末の路地裏を徘徊しながら20代を送ったせいか、ほとんど都市を背景とする映画を作ってきた。『ビート』(1997)、『太陽はない』(1998)が上手くいった後、また同じような映画を作りたくはなかったので「私が本当にやりたいのは何だ?」と考えると、幼い頃好きだった西部映画達を思い出した。実は武侠映画はそこまで狂的に観たわけではない。

だからといって西部劇を撮るわけにもいかず…後で『良い奴、悪い奴、変な奴』(邦題『グッド・バッド・ウィアード』、以下『GBW』)を観て、ああいうこともできるんだなと思ったが。とにかく私の幼い頃の滋養分である西部映画を、当時の韓国人として可能だった史劇の形式で紐解いた。撮り終えると私の記憶の中のフィルムを全部詰め込んだ気がして、西部劇への憧れは『武士』を通じて全て解消できた。そのため、叙事のスタイルもそれ以前の映画達とは違っているはずだ。

『GBW』『タイフーン』が出るまでは、『武士』は非常に巨大なプロジェクトだった。当時、試写会で製作を務めたチャ・スンジェ代表がつらそうな表情でタバコを吸っていた姿を思い出す。口惜しい映画だと思ったが、監督自身のフィルモグラフィーにおいてその映画をどう位置づけしているのか気になる。

私の性格上、過去に作った映画のことを振り返ったりしない方だ。外国の人々は『武士』のことをよく言及する。当時、幼い頃に何本かの映画を成功させてその覇気で作ったが、見方によっては放漫に欲望を発散させたようにも思える。あまりにも良い機会だったのに。

その映画に限っては、私が権力者の立場で中国へ行って、思うがままに撮った。後で振り返ってみると、人生で何回もない良い機会だったのに、それを好き勝手に使い切ったな、と思えた。それでも、自分なりに臆することなく勇敢に撮った映画なので、「私の人生における素敵な旅だったな」と思ったりもする。それ以上深く考えはしない。

そうやって撮った『武士』と『アシュラ』が、よりキム・ソンス監督らしいと思える。

私が撮っている映画と私自身の間に、何の遠慮もなかったからだ。撮るその瞬間に感じる喜悦が最高すぎた。『アシュラ』の5人のキャラクターが葬儀場に立った姿をポスター用の写真に収めるとき、映画撮影において初めての戦慄を覚えた。映画監督として頭の中にだけあった考えが実現する瞬間だったからだ。

葬儀場の場面を撮るとき、俳優達に1時間ずつ早く来てリハーサルをするように求めた。ハン・ドギョンがパク・ソンベの前で格好悪く抵抗する場面を除くと、全てのシーンに動きが必要だったからだ。そう言うと、ファン・ジョンミンがとても喜んだ。自分はじっと座って動かずにいるのが嫌いだと。率先してリハーサルをして、ポスターを撮るときも俳優達が自分達同士で位置取りをし、各々のポーズを取った。イ・モゲ撮影監督も、彼らを見てどこに立てというようなことをただの一度も言わなかった。

葬式のセットの最も狭い部屋で5人がビシッと立ち、「監督、どうですか?変えるところはありますか?」と言うのだが、私は完全に茫然としてしまった。監督としてやることがなかったのだ。私が無用な存在になったというのに戦慄が走った。そう撮ることにして、部屋を出て、モニタリングをするところまで狭苦しい通路を歩いていったが、「映画監督をやっていて、こんな感情を覚える日も来るのだな。楽しいぞ」と思った。後でそれを使ってポスターを作ったら、クァク・ドウォンだけが喜んだ。自分の顔だけ出てるので。(笑)

他の俳優達に比べてチュ・ジフン、チョン・マンシクが過小評価されているように思う。他の人々のキャラクターは悪さを働く理由があるが、二人のキャラクターは明確な理由がなく、論理的に判じ難い状況ながらも上手く演じていた。チョン・マンシクはチョン・ウソンの顔を殴った後、クァク・ドウォンがくれたタオルを受け取らない。「私がこんな汚いことまでしなければならないのか」といったふうに。葬儀場では、外国人労働者達と戦うときに逃げてもよさそうなものを、最後まで耐えて命を落とす。そうやって特別な理由なしに命を懸けて戦い、死にゆく様が男の映画に相応しいキャラクターだと思えた。それを理解してこそ『アシュラ』を好意的に観ることができそうだ。

下手人だから、組織の一員だから抜け出せないのだ。結局、悪さは下の職員がすべて担うことになる。彼らが免罪されたり、逃れることはできないだろう。同じ船に乗った立場なのだから。チョン・マンシクには「あなたは現実的な人物だ。見方によっては、他に比べて劇化されていない人物かもしれない」と話してある。

生き残るための戦いというより、それまで溜め込んだ感情が爆発するようだった。

最後はそう描写しようと思った。ウンザリしながらもとことんまで行く男達。

『あの時、あの人たち』(邦題:ユゴ 大統領有故)を観たときも似た印象を受けた。突発的な状況に直面した男達が滅びていくではないか。自らの宿命だと思いながら受け入れていく。格好よく見えるかもしれないが、あるいは小物達が直面する運命なのかもしれない。『ワイルドバンチ』(1969)のような結末も意図したのか?

私にとってその映画は聖書に等しい。苦しいとき、落ち込むたびに観る映画だ。とてもその映画と比べられるのは…(一同笑)そんな感じの鎮魂曲になることを望んだ。

生涯に二度とない機会を得て

95年以降、韓国映画は大きく変わった。その後に登場した者達が、現在の巨匠、スター監督となった。キム・ソンス監督は彼らと年代は近いが、デビューが数年早く、また(今は消えた)忠武路の徒弟システムも経験している。

キム・ヨンビン、チャン・ヒョンス、イ・ヒョンスン監督もそうだった。それからイム・サンス監督も。しかし、イム・サンスは徒弟時代から反抗心がめっぽう強く、変わり種だった。(笑)

最近の監督達とは異なるベースを持っていながら、映画作業を続けているが…

食いつながないといけないから。(笑)

当然、続けていてほしい。

私は教授も務め、映画関連ではあるが別の事業もやってみたが、やはり他の事はやるだけの力量も面白みもなかったので、余生は映画監督として活動できたらと望んでいる。今の韓国映画産業の地形図において、年配の監督が映画を撮るのは簡単ではない。まるでボクサーのようなものだが、リングに登ることはわれわれの意志によってではない。誰かが席を設けてくれてこそ可能だ。席がなければ引退するしかない。チャンピオンとして格好よく引退することはできるが、私にそんな機会が与えられるだろうか。

(『アシュラ』を撮りながら)周りでは「こんな機会は二度とない。キャスティングも上手くいったのだから、脚本を書き直せ」という話もあった。私もこれで千万の観客を集めるべきではないだろうかと考えたりもしたが、生涯に二度とない機会なら、私の好きにやってみる方がマシではないだろうかとも思えたので、ハン・ドギョンのように小細工を弄し続けた。

今回、私の計算が間違っていたことが露呈して悔しい限りだが、それでも私は、これからも大衆と共に呼吸する者でありたい。これは私のみならず、同時代の全ての監督が悩んでいる問題のはずだ。時代が変わったため、私も昔の歌をそのまま歌うわけにはいかず、私なりに変えたレシピで調理したが、人々の気に入られなかったのだ。壁にぶつかりドアを開けると、また壁が出てきた状況と言おうか。それで「なぜこうなった?」と悩んでいる状況だ。

女性嫌悪映画ではないのかという話もある。男性的なものに対する拒否感のようなものが働いたのかもしれない。

そういうところもあるようだ。トレンドに合わないという話も耳にした。しかしトレンドというものは、私が無理について行っても合わせられるものではなく、その時代の考え、哲学、目指す方向に同意してこそ合わせられるものだ。私が怠慢だったせいなのか、時代を見誤ったせいかは分からない。良い俳優達が集まっていて、面白く、楽しく、興味津々なタイプの映画を観客達は期待していたようだが、「こう変えてみてはどうでしょう?」と私が提示したものが通用しなかったらしい。

『ワイルドバンチ』もまた1969年という革命的な時代に、反革命的な筆致で男達の破壊的なロマンを描いた。もし、その時代に合わせて政治的に正しく作ったなら、ああいう名作にはならなかったはずだ。

サム・ペキンパー監督は、それ以降、そんな映画を作れなかった。私達としては、そんな映画を作ってもらえて感謝しきりだが。(笑)

『アシュラ』が楽しい映画であることを望んだ観客には不満かもしれないが、この美しい俳優達で自己破壊的な映画を撮れる者が他にいようかと思える。

私にとっては極上の賛辞だ。普通、監督達は歳を重ねるにつれ、若い頃に持っていた覇気を失い、没落していくが、それを越えて作品を作り出すクリント・イーストウッド、リドリー・スコットのような監督は凄まじい才能を持つスーパースターだ。貧弱な才能ながら監督として持っているものを遺憾なく発揮できるなら、一瞬だけ光ることはできる。私はサム・ペキンパー監督のようになれればという夢を抱いて映画を始めた。それほどの才能は持っていなかったため、その境地に至れなかったことが悔しい。

とにかくエクストリーム・ムービーは『アシュラ』が好きだ。

感謝する。

サナイ・ピクチャーズの映画がエクストリーム・ムービーの好みに合っているようだ。

ハン・ジェドクという人はすごい。『検事外伝』が上手く行っていたときも「この映画が早く降りないといけないのに…」と言うので、どうしてかと聞くと、「千万観客になったらマズいでしょう」と言っていた。(一同笑)

その映画を貶めているわけではなく、その言葉には様々な意味が込められていたはずだ。『無頼漢』のような映画を作るときも、自分がそうしたくて監督と焼酎を飲みに行く姿を見て、この人と映画を作るべきだろうと考えた。いま当人もすごく悔しいはずだが、私にはそういった素振りを一度も見せなかった。

韓国の観客は、全体的には荒々しくても結末は明確な、ハッピーエンドを好むようだ。

深く痛感している。(笑)とにかく商業映画というものは観客と目に見えない約束を交わすゲームだが、私がそのルールを破ったようだ。最後にハン・ドギョンがベッドに横たわり回復する姿を見せれば、観客がさらに100万は入っていたかも。(一同笑)私自身はあまり嬉しくなかっただろうが。

今の観客達との間隙はあるが、それをずっと維持してほしい。

こういう性分なのだから仕方がない。(一同笑)私も若かった頃は、一種の「アーリーアダプター」だった。海外旅行もしながら最新流行を享受した。しかし全ての既成世代がそうであるように、ある瞬間から時代が自分より速く進むように思えた。いくら手を伸ばしても届きそうになかった。かつてチャン・イーモウ監督に可愛がって頂いたが、あの方が「映画は若者達が話す当代の言語で話すべきだが、それで悩んでいる」とおっしゃったのを思い出す。そのとき内心では「監督は昔話ばかりしてるくせに、そんなことが言えるのか」と思った。(笑)今はあの方の話が胸に響く。

ストーリーテラーは自らのお話に確信があってこそ、それを観客に明確に届けることができる。私が歌う曲が古めかしいと思われるのではないかと相手の顔色を窺い出すと、失敗する。『アシュラ』も最初に始めるときは悩んだものの、勇敢に撮れば呼応があるだろうと期待したが、それが壁にぶつかった以上、少し考える必要があると思う。

この映画は決してオールドではないと思う。最近の観客と合わないところが何だったのかは悩むべきだと思うが、最近の映画言語に比べてオールドだから押されたようではない。

様々な問題があったようだ。

公開前にインタビューしておくべきだった。

今がちょうどいい。インタビューというものは、どれだけ上手にウソを吐けるかだ。(笑)『ビート』を撮るとき、リサーチを兼ねて、大勢の家出青少年、少年院の子達に会った。ざっと100人程度に会ったが、助監督が「使える内容もないのに、なぜこんなことをやるんだ?」と聞いてきた。それで私が「インタビューは内容が重要なのではなく、描写する対象に近づくためのものだ」と言うと「ウソをこくな」と言われた。

しかし本当に、その子達はウソを吐くか、沈黙するかの二つの部類しかいなかった。それでウソと沈黙の間の何かを見つけ出すべきだと思った。おそらく先週にインタビューしたなら、興行への欲に駆られて…用意していた返答があるのだ。(一同笑)

週末に舞台挨拶を回りながら、ウソを吐かないようにしようと思った。(笑)今回はウソを吐かなかったように思えて幸いだ。

かつて『ビート』が本当に好きだった。DVDも持っている。「Let It Be」が抜けたバージョンだが。

その曲を盗用したという記事を書かれて腹が立った。お金はもう支払ってるのに…

その監督と出会い、インタビューができて不思議な気分だ。

『ビート』は、私にとっては重荷だ。チョン・ウソンが私の映画に是が非でも出演しようとしたというインタビューを読んだ。彼は、私に対してそのような気持ちでいたが、私もまた、この映画が彼への贈り物になるだろうと思ったのだが…まるで彼を屋上から地面へと突き落としたかのように思える。普段は決して文句を言う人じゃないのに、撮影時、私に「これ以上苦しめるな、気が狂いそうだ」と言うほどだった。それでいて、いま上手くやっていると気を引き締め直していたが、「チョン・ウソンの演技が下手だ」と言われると、腹立たしくてたまらなかった。彼には困難でありながら輝く役割を与えたかった。私としては、上手くできたと思ったのだが…

チョン・ウソン本人は気に入っているらしかった。好きな出演作を挙げてくれというと、『アシュラ』を含むキム・ソンス監督との全ての映画を言及するほどに。『ビート』以降、中年になったチョン・ウソンの代表作なのだと思う。

私達同士では満足しているが、映画というものは自分達だけの満足で終わらせてはならないものではないか。観客と出会って完結を迎えるべきなのだが、勇敢な選択をして最善を尽くした私の親しい仲間達に、悔いがないことを願う。

興行成績に関わらず、キム・ソンス監督ならではの、強烈な爆弾のような映画だと思う。誰にでも作れるわけではない映画を作ってくれて、映画ファンとして感謝を捧げたい。