17.02.10 韓国映像資料院『アシュラ』上映後対談 [1/3] よりつづく
司会 そこでさらに驚いたことは、最初に想定した度合いから、さらに進んでいくところです。そうやって顔を壊して葬儀場に登場させたチョン・ウソン俳優に、コップを噛み砕かせる。つまり想定していた地点からさらに進み、描写が強くなるところが僕には…容赦のない方だな、と…(笑)
監督 カップを噛むシーンは、実は最初はシナリオにはなく、撮影中にそのシーンをめぐって何度も会議を重ねました。ハン・ドギョンはパク・ソンベの猟犬ですが、猟犬が牙を持っていながら主に噛み付けないのは、主が怖すぎるからです。まだ主に歯向かえない、だが、歯向かいたい猟犬が、自らの主に何らかの抗弁をするシーンだと思っていました。私をこれ以上苦しめるな、私をいじめるな、私を殴るな、私もあなたに噛み付くことができるという…そう思いながらもパク・ソンベに歯向かうことはできないため、自害をすることで自分の存在を証明しようとする、古臭い韓国男性達の格好悪い習性といいますか。その表現の仕方を…どうすべきか悩んだのですが、ハン・ジェドク代表が…カップを噛み砕かせるとよさそうだと言いまして、チョン・ウソン氏を含む多くのスタッフが反対しました。変すぎるし、突拍子もないと…(客席笑)
撮影当日の朝もウソン氏が来て「兄さん、これやらなくちゃダメか?」と聞いてきました。それで私は…昔からやりたかったんだと答えました。(客席笑)切実そうに、これ本当にやりたかったんだけど、一回やったらダメか?と言うと、「やる」と。それでやってもらったのですが、あれは、とても分厚い砂糖です。普通、砂糖ガラスを使うことは事実ですが、普通の砂糖ガラスだと透明度や硬度の面で映りがよくないため、砂糖ガラスでありながら、本当のガラスのように思えるものです。それを噛み締めるシーンを撮るとき、スタッフと周りが全員凍りつきました。まるで本当にその場面を眺めているような気がして…口の中には固形の血がありまして、それを含んでいるとそれが溶けて血液の形となり、そのときに噛むと口から血が弾け出るようになりますが、そのシーンが与えるゾッとするような感覚が、撮影場を凍りつかせたのです。すごく良いと思いました。
(映画の神だ!)(拍手)
(キム・ソンスは~)(映画の神だ~)
(キム・ソンスは!)(映画の神だ!)
監督 (*急な掛け声でややリズムがズレたので)魂のこもってない声でやってますね。(一同笑)最初のような感動は感じません。
司会 今日、外で監督がサインをしたり、そういった時間まで考慮しますと、持ち時間自体がそう長くありませんので、客席の質問も受けないといけませんから、僕からはさらに2~3個だけ質問をしたいと思いますが…
僕の気になっているキャラクター、もしくは最も僕の心を動かし、この映画であえて、最も可哀想な人を選ぶなら、妻と、ソンモだと思います。(客席泣)(ウン・チュンホ)(Yoonhee Steel Alive)なぜかといいますと、この映画はショットの構成から流れまで、本当に予想通りに進むものが一つもありませんが、あえて一つ、平凡なドラマのように演出したところがあったとすれば、二人が商店街のようなところで定食を食べるとき、食べながら焼き魚をよこしてあげる…それを後で衣装まで変えて、ソンモがスーツを着て来たときは立場が変わり、ソンモがよこす…あるいは抗弁のように。その場面の構成は…この映画の中では慣習的な設定ともいえますので、こんな設定をしてまで、この二人の関係、兄弟的関係のようなものを表現していると思います。
後でソンモが、あえてハン・ドギョンを遠くまで連れていって、ああしたのは、兄を生かそうとしたんだと思うんです。ひょっとすると。あちらは完全に阿修羅場になるはずですので、引き出してあげたんです。その場所から。それで僕は、最初から殺すつもりはなく、後で争い合って、自暴自棄のまま銃を持ってはいますが、隣にハン・ドギョンがいるのに目を閉じたりもしています。殺すつもりがなかったのに自らは死ぬことになったのだと思いました。二人の関係、ソンモについて…
監督 最初にシナリオを書いたときから、ソンモは、ハン・ドギョンの別の姿という考えを持っていました。鏡の中の姿といいますか…あるいは、過去に悪に染まる直前の自分の姿であり、別の側面では、悪に向けて、パク・ソンベに可愛がってもらうために突き進む自分の姿…つまり、自分の過去と現在と未来が同居する、投影された自分自身のもう一つの姿だと思っていました。
映画の最後…ソンモは堅い義理で結ばれた弟分というよりは、自分で自分を撃つような、そして、自分が倒れている自分に向かって這い進んでいく…『トムとジェリー』で、トムやジェリーの頭の中で、片側には悪魔のトムがいて、反対側には天使のトムがいるように、そういった投影された人物、純真さと奸悪さが共存する、そんな存在に見えることを望みました。それで、自分がソンモにした行動は、ソンモが自分に返してくる…自分が鏡に向けて何かを渡すと、鏡の向こうの手がこちらに伸びてくるように…そういった抗弁…少々古臭い感は否めませんが。そういった設定をしていました。
司会 互いを気遣う姿を、あえて見せたのは…
監督 あるいは自己愛かもしれませんし…自分の姿が投影された人に対する…この映画は暴力に関する話であり、悪に関する話ですが、実のところ、暴力が男の間や社会に存在するのは、その暴力で権力の序列を表しているのでしょう?位階秩序を。上下を。そして韓国社会における先輩・後輩といった関係…大学であれ、軍隊であれ、どこであれ、そんな場所には、権力の何らかの承継や誓い、見えざる誓いがあります。互いの間に。しかし、そういった誓いや義理といった関係は、覆って当たり前です。それが永遠に続く姿は一度も見たことがありません。そういった姿に当てはめたのだと思います。
司会 それから僕が映画を観ていますと、「ジョジナベンベン 조지나 뱅뱅」(男性器をクルクル回転させるといった意味。日本語字幕 / 吹替版は「ケツでも舐めてろ」)という変な台詞が…(一同笑)しかしシナリオを勢い任せに書いたというよりは、計算づくで配置されているように感じました。ジョジナベンベンという台詞を言うのはハン・ドギョンとムン・ソンモの二人であり、ハン・ドギョンは、最初はキム・チャイン検事に言い、最後にパク・ソンベに言いますよね。そしてソンモは、兄貴分のドギョンに言います。これを考えながら観ると、最初はふざけている台詞だと思っていたのが、配置に計算があるのではないか、と思えたのですが、合っているでしょうか。
監督 そうです。今回、DVDに入れる、ジョジナベンベンと言うシーンがもう一つありますが、(嘆声 → 歓声と拍手)私がアスリアンの方々に…尊敬するアスリアンの方々に捧げるささやかなプレゼントです。(大歓声と拍手)(ジョシナベンベンだァ~!)しかしジョジナベンベンという言葉は、実は…その言葉を見つけるために会社の内部でも何度も会議を重ねています。(聴衆笑)ハン・ジェドク代表は、そんなダサい言葉を…兄貴が昔使っていたダサい言葉を使っちゃダメだろうと、洗練された最近の悪口を使うべきだと…じゃあ何だと聞くと、ジョットロヴァイキング좆도로 바이킹と言うではありませんか。(聴衆笑)呆気に取られてしまいましたね。私の時代にもあった言葉ですが、ほぼ場末の言葉です。誰も認めません。
ジョジナベンベンという言葉は、実のところ非常に低俗な卑俗語であり、何らかの意味を込めているというよりは、韻律的な…擬態語でありながら擬声語でもあるような、そんな言葉ですが、それは実は、悪口ではあるのですが、相手に対して質問や、何らかの反応を聞き出すために言う言葉ではありません。私があなたに投げかけるこの表現は、あなたを私はこう見てるという、私はお前をこんなふうに見るしかないという…そういった意味を集約させた表現ですので、ただの悪口というよりは、私はお前をあまりにもくだらないと思い、軽視しているので、私はお前のことをこう言い表すしかない…というような意味を込めた表現を探していると…やはり、私が幼い頃によく使っていた言葉を見つけることになりました。(笑)
司会 ナレーションについても人々がよく話していますが、ナレーションだけ抜き取って、切り分けて考えてみますと、『ビート』では「僕には夢がなかった」と言い、この映画では最初に始まるとき、「人間が嫌いです」「勝つ方が味方です」と言いますが、最後にもナレーションがありますよね。
監督 しょうがなかったんです…
司会 こうなると分かってました。分かってましたが、しょうがなかったんです…その台詞についてよくよく考えてみますと、まるで何回も死んでみたことがある人が言う台詞ではないかという気がして、次にまたこのハン・ドギョンに何らかの形で会うことができそうだという想像すらも掻き立てる、そんな台詞でした。聞いているとゾッとしました。何回か死んでみた人だから言える台詞に思えて…
監督 それは本当に、正確に見てくださった気がします。(嘆声)元々のシナリオでは、シーンの設定からして違いますが、人は誰もが死ぬ…ユン・ジェムンさん、ファン班長を指して、「あの兄貴も、俺じゃなくてもいつか死んだはずだ」と言いながら始まり、映画の最後も、「人は結局、誰もが死ぬ。それで俺も今日死んだ」といったふうに、一番最初の初稿にはそう書いていました。
私が『アシュラ』を作ったのもそうですし、それ以前の映画でも、私が持っている考えの一つは、人は誰もが死ぬでしょう?死に向かって一歩ずつ近づいていくのが私達の人生ですが、それを否定したり、認知せずに生きてこそ私達は希望を抱き、様々な欲望を持って生きていくのだと、日頃から思っています。特に『アシュラ』は、映画の設計自体が、中心人物である5人を、葬式、出口のない葬式場の、さらに底辺へと押し込む構造を持っているので、この映画は死に向かって進んでいく映画だと考えました。
最初からその考えが確固としてあり、結局皆死ぬのに、あのくだらない連中が…躍起になっているわけでしょう?最近、頻繁に海外に出入りしていたのですが、外に出ると、韓国の状況を見なくて済むのですごくよかったです。でも帰ってくると、怒りも覚えますが、一方では、あの連中もそのうち死ぬだろうに…(客席笑)何が欲しくてあんなに躍起になってるのやら…こんなことを考えながら…私は気が小さいのです。小心者ならではの憎悪をぶつけているわけですが…そんな考えが深く根差していたようです。以前の映画のときも、『武士』のときもそうでしたし、今もそうです。これからもそうだろうと思います。
司会 サム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』も、『武士』も、孤立した人々、無事では済みそうにない難関にぶち当たった人物達の苦痛といったものを描いています。監督の映画を語るとき、サム・ペキンパーやセルジオ・レオーネを連想する人が多いですが、僕も熱狂していた映画がそっち方面でしたので、取り分け最後に40分余り続く斎場シーンは、本当に、そこだけ再生したことで計算すると10回以上観たと思います。IPTVで所蔵してるので。そこで、最後の一発を落として後から使うことは、実は何度も目にしてきた設定でもありますし、最後に、あいつは弾が切れたのに、なぜあんなことをしてやがるんだと、何の警戒もせずに近づいて、一撃でくたばる…それを観たとき、僕は完全に、逝ってしまいましたね。(客席笑)
監督 私はこの、マカロニウェスタンの地獄に閉じ込められている気がします。ここから永遠に抜け出せない気がします。(一同笑)
司会 分かっちゃいるが、しょうがないんですね。(客席笑)それから、こっそり録音機を隠し持っていくことは、アンダーカヴァー活動をする者達によく用いられる設定ですが、その男が突拍子もなくそれをバラし、両者を対面させるのもまた、卓越とした優れた設定でしたし…
監督 チュ・ソンチョル記者からこんなことを言われると、気分がすごく良いですね。(客席笑)ありがとうございます。(拍手)
司会 時間がだいぶ経ちましたので、そろそろ客席の質問を少し受けたいと思うのですが、手を挙げてくださると…
質問者1 (長いのでバッサリ要約)『アシュラ』の興行惨敗は、反政府的なメッセージを込めた映画に対する、国家情報院またはCIAによる工作では?
監督 お話中に中断させて申し訳ありません。そうではないと思います。(客席笑)なぜなら、私はいまこう受け止めています。私は大衆映画を作るわけですし、面白いノワール映画を撮りましたが、私の計算が、多くの大衆が求めるものと違っていたことに気づきました。そして、私が得られたさらに大きな気づきは…私としては本当にやりたかった映画です。書きながらも作られるとは思いませんでした。私の生涯の映画を作ったわけですので、ああ、お前は現実の栄光までも欲してはならないのだ。という、そんな貴重な教えを得られた気がします。(拍手)
質問者1 もう一つ質問があります。アンナム市長の名前はパク・ソンベです。ソンベは、キリスト教ではイエスの聖杯(*発音が同じ)を意味します。車から忠義深い執事を落として殺すシーンでも、音楽が流れますが、その音楽の歌詞はイエスの手が殺人を犯すという意味に解釈できます。聖杯はイエスの体であり…
監督 パク・ソンベのパク박氏は、皆さんが推測しがちな、あのパク氏から取ってきたように思います。(客席笑+嘆声)ソン성は、私の名前のソン성です。(客席笑)私の年頃の人にとっては、ベ배が入る名前は、キム・ジュンベだとか(客席笑)少し野暮ったい印象がありますので、実際にパク・ソンベというお名前をお持ちの方には申し訳なく思いますが、そうやって組み立て終えると、私の頭の中でその人物が描き出されるのです。それで…そうしました。HOLYというわけでは…(客席笑)
司会 作名の神ですね。
質問者2 アンナム市民です。僕は部長検事が一番好きですが、なぜなら、あちこちから賄賂をもらっておいて最後まで生き残った悪人だからです。(客席笑)部長検事はその後どうなるのか、構想をお持ちなのでしょうか。
監督 ………………… (客席笑)…私が映画で目指したことは、すべての悪を殲滅すること…彼らが立っている足場が、彼らの下手人によって崩れ落ち、壊滅するラストを夢見ました。ですが…その、オ(チョルスン)部長検事が抜け出したことにまでは考えが至りませんでしたね。(客席笑 嘆声)すべての権力者は、どこかしらに生き延びて、再び悪の傘を広げて、私達をその影に引き入れるのだと思います。それはどの歴史でも、韓国も非常に大きな渦の中にいますが、そんな連中は常に生き延びて、悠々として権力を、目に見える暴力であれ、見えざる暴力であれ、行使するのだろうと思います。…深く考えたくありません。(会場爆笑)興味の外の人物でしたが、一度考えてみることにいたします。
質問者3 『アシュラ』を観て多くの方々がアンナム市民を自称し、アンナム市という空間に愛着を見せています。もしかして、このアンナム市という仮想空間を、もう一度だけ利用して、他の映画をお作りになる計画はないでしょうか。(客席歓喜+拍手)
監督 ……………面白い考えですね。………(客席笑+拍手)
質問者4 映画の神がアンナムを創造されるとき、最も重点を置いた部分と、それを映画で具現するとき、さらに深化された部分があるのか気になります。また、十字架を(CGで)消したとのことですが、その理由についても伺いたいです。
監督 実はその話、外で、映画を観に来ずに、何人かのアスリアンの方々と話してるんです。十字架は、私の母が勧士(平信徒の中で重要な職位)なので、中高生のときに教会に通いました。それがウンザリだったので、ただ嫌なので消しました。(客席笑)ごめんなさい。元々はあるのが正常なのですが、嫌だったもので、たくさん出てくるので。映画に。見るのが嫌だから消したんです。
それから…私は70、80年代に学校に通いましたが、70、80年代には、再開発事業が南韓の土地全体で猛威を振るっていました。私達の国の人々が、私達民族が長く持っていた衣食住の構造を、すべて放り投げ、急に西洋式の生活をするべきだといい、何もかも変えていったように思います。それがアパート開発のような形で行われたように思います。元々、他の国も私が旅してみますと、アパートは、ほとんどが都市の庶民が、国民が寄り集まって暮らす…集まっているものの、共同体が破壊される構造でしょう?ですが私達の国ではその当時、不動産の価値を上げるために、アパートを生活の最も重要な条件として売り出し、開発を進めたように思います。
私が常々耳にした話は、アパート再開発、都市再開発、米軍基地の跡地を再活用することや、グリーンベルトが解除されるとき、とてつもない、天文学的な利権といったものが発生し、そういったものをすべて勝ち取った者達は、結局それらを主導した人々だったように思います。だからこそ、2017年の最近に至るまで、韓国のすべての高位官僚や国会議員は、不動産の違法取得に関与していない者がほとんどいないですよね。
私には、何らかの巨大な利権というと、都市再開発、それしか思い浮かぶものがなかったので、70、80年代にそういった都市再開発が行われる空間を考えた気がします。そして、今の韓国で成長の陰に隠されている…地域、工業団地、外国人労働者達がいる場所、そういったものが現在の韓国で最も、韓国の明るい面に隠された、最も膿んでいる箇所だと考えたため、そういったものが集約されている空間を設定して、名前も人々がどこかで聞いたような名前をつければ、私達の映画のゴッサム市であり、シン・シティではあるのですが、人々が少しばかり既視感を抱き、あんな場所では、あれらが集約された場所ならば、あんなことが起こるかもしれない。と思わせられる…と考えた気がします。(拍手)
質問者5 パク・ソンベ市長はキム・チャイン検事に対し、心にもないことですが、はじめは金で買収しようとしますよね。最初は5で、後ろに付く○は言わずに耳打ちをします。いくつなのか気になります。(客席笑 拍手)
監督 ……後で終わってから、あちらのホールにおいでになれば、私が耳打ちで…(客席歓声と拍手)(*後で本当に耳打ちしていました)
17.02.10 韓国映像資料院『アシュラ』上映後対談 [3/3]へつづく