2017年9月20日水曜日

17.02.10 韓国映像資料院『アシュラ』上映後対談 [3/3]

17.02.10 韓国映像資料院『アシュラ』上映後対談 [2/3]よりつづく

質問者6 まず、限定版ブルーレイはいつ出るのか気になります。それからラストシーンで、ドギョンが死ぬ前にソンモの元へ這いずっていくでしょう。実は私は、そのシーンを最初に観たときは、ソンモの元へ向かってることに気づきませんでした。後でまた観て、シナリオも読んで気づいたのですが、ドギョンがなぜ、あえてそのときソンモに近づこうとしたのかを…「私が殺しました」と言うところを見ると、そこまで情が深かったようにも思えないのですが…その理由が知りたいです。

監督 ドギョンがソンモを「私が殺しました」というのは、ソンモを殺したことをやましく思っていないとか、あいつのことが嫌いだから殺したとか、そういった意味ではないと思います。そんな意味の台詞ではなく…パク・ソンベがその中で繰り広げている行いが、もっての他すぎたので、ああ、そうだよ。俺が殺したよ。と言うニュアンスの方が強いわけで、ソンモに対して悪感情があったのではなく、ソンモに対する申し訳なさもあり…それに…ドギョンがそこで這いずっていくなら、死にゆく立場なわけでしょう。ただまあ、知っている人の方へ、進むのではないかと。(客席爆笑と歓声)隣にはパク・ソンベもいれば、ト・チャンハク、キム・チャインがいるのですから、やはり、そいつらの隣で倒れるのは…不服だったろうと。そう思います。


質問者7 アンナム市民の夜のときにお会いして、2回目にお会いできて嬉しいです。映画『アシュラ』を作って下さいまして、本当にありがとうございます。アンナム市民の中には、チャ・スンミというキャラクターに対する愛情が深い人が大勢います。これまでの話では、他のキャラクターや俳優達に比べて、話題になっていないように思えまして、実は12月31日、2016年の大晦日に、アンナム市民達が○○○という漫画カフェに集まり、除夜の鐘の代わりにアシュラの鐘というイベントを…

監督 (笑いを堪えて)さっき、ある方に見せてもらいました。(会場笑)

質問者7 そのときも、ある方はチャ・スンミと同じ服装を着ていらしたり、それぐらいチャ・スンミというキャラクターの人気が高いです。それから、偶然だとは思いますが、チャ・スンミが何度もドアを開けてくれるシーンが出てくるんです。それでツイッターを見ると、チャ・スンミとドアの関係は何か…(客席笑)監督から、何かしらチャ・スンミというキャラクターについて、私達が『アシュラ』という世界を消費し、楽しむにおいて、少しでも役に立つような「ネタ」を提供して頂けると嬉しいです。

監督 チャ・スンミというキャラクターは、映画で上手く使用できずに、消費した感があって、キャラクターをもっと上手く活かすことができたという心惜しさがあります。そのキャラクターを作り上げることに成功できていないように思います。ですので、私がそれにあえて意味を付与することは、嘘のように思えます。

ただ、シナリオをすべて読み終えて、演出部と話したことは、この中ではチャ・スンミが一番マシな「知力」を持っている。他の人物よりは利口で、正しいことを話し、哀れみの心を持っている。

この映画の人物の間で哀れみの気持ちが発生することはあり得ません。誰一人、誰かに対して同情をかけることがなく、ソンモとドギョンも、自分達の必要に応じて、いくらでも嘘を吐き、背を向けますが、チャ・スンミは、女性だからというのもあるでしょうが、男どもが、くだらん連中が争っているのですから、その中では怪我をした者に関心を示し、手拭いを差し出し、助けようとするのが目立ちます。

それから、あのトラック、葬儀場の外でも、本部に支援を呼べばよかったんです。(客席笑)キム・チャインがそこで…利口な女性が何かを話すと、偉い人が頭ごなしに怒鳴ることがあるでしょう。黙れと。気を散らせるなと。そのような…この映画に登場する男達は耳を傾けませんが、この中では正常なことを話す人というように思っていた気がします。

司会 支援要請をしていれば…こうなってはいませんでしたね。(客席笑)そのシーンについても、Cine21でアスリアン特集を組むときに参席してくださった方が、あのとき支援要請をしていれば皆助かったろうにと…

監督 キム・チャインが隠し持つ録音機も、チャ・スンミのアイデアですよね。キム・チャインはそれをわざわざ取り出して見せびらかします。(客席笑)自分は検事なので、自分には手を出せないと勘違いしたのです。パク・ソンベを舐めたわけです。…パク・ソンベを舐めたらダメです。(一同笑)


(ネクタイは~)(<貸館>の神だ~!)
質問者8 ありがとうございます。

監督 ああ、アンナム市民の夜の…(監督拍手 → 会場拍手)

質問者8 なぜ私に拍手が…とにかく、質問したいことは…ご覧のとおり、アンナム市民連帯だとか、他の映画よりも少しばかり多く、現実との垣根を越える、そういった様相を呈しているのですが、それについてはCine21でも多く話しましたし、色んな記事でも取り上げられていますが、この映画をお作りになった方の立場からすると、これをどう受け止めておられるのか…なぜこうなったとお考えなのか伺いたいですし、個人的には…

監督 アスリアンの方々のことですか?それともアンナム市の…

質問者8 アスリアン達が市民連帯だとかを組んで、光化門に出て行くとか、私達があれやこれやを作るといった行為についてです。それから、私の個人的な質問、というよりも希望ですが、パク・ソンベのプレゼンテーション映像を、どうか、公開して頂ければと…

(拍手と歓声)(D・V・D!D・V・D!)(公開!公開!)
(DVD特典!)(パク・ソンベを舐めたらダメです!)(爆笑)

(何の町ですって?)(金持ちの町!)
(聞こえません、何の町ですって?)
金持ちの町~!!!!!


監督 一つ目の質問からお話ししますと、その…なぜこんなことをするのか分かりません。(客席爆笑)唖然としています。最初は、映画が上手くいかなかったので、ほら、見ろ!映画が変だからだろ?と話す人が周りにいました。それで、少し、嘲弄が入り混じった…そういったニュアンスだと誤解していました。(嘆きの声)私の映画はこんな…(監督の視線に対して爆笑)ことになるとは思ってもみませんでしたが、今は悩みに悩んで…先程もアスリアンの方に会いましたが、あの人達どうしたんだ?と思ったり…(客席爆笑)

今はこう思っています。ああ、私は映画を上手く作ったけど、それを分かる人が限られているんだな。(会場拍手と歓声)(映画の神だ!)そう考えると腑に落ちました。とても感謝してますし、まさに家門の栄光です。アスリアンの方々がおられるために、私が次の映画や、これから映画を作るとき、より多く考え、緊張するようになると思います。皆様は私にとって、より多く考えるようにしてくださった貴重な方々だと思います。

それから二つ目は…私が、パク・ソンベのプレゼンテーションに関する映像を………DVDに入れることにいたします。(大歓声と拍手)
 
(キム・ソンスは!)(映画の神だ!)

その映像のタイトルもいま思いついたのですが…追加映像がいくつかありまして、元々は除外するつもりでしたが…映像のタイトルは、「エッフェル搭の上のアンナム」です。(訳が分からんが、オー!拍手!)

「パク・ソンベの危ういネクタイ」氏(質問者)が壇上に近づき、紅参と賞状を監督に手渡す。

質問者8 黒参がなかったんです…監督、お前にこれが食べられるか分からんが…(会場笑 拍手)

監督 お金まで貰うことになろうとは…(*劇中ではお金も入っていたので)ありがとうございます!…賞をもらったことがないのですが、表彰状をもらいました。感謝します。

(キム・ソンス!)(キム・ソンス!)(キム・ソンス!)
(キム・ソンスは~!)
(映画の神だ~!!!)
(『アシュラ』は~!)
監督 やめろ。
(最高の暴力映画だ~!!)
(一同笑)

司会 監督は最初は嘲弄だと思われたと…少し理解できなくもないですが、(会場爆笑)決してそんなことはないと思います。僕もツイッターでたくさんフォローをして、公開的な活動はしていませんが、全部見ています。僕の知り合いではありませんが、映画について納得のいく話をされる方が大勢おられます。そんな方々をフォローしていたのですが、ある日突然、プロフィール画像とニックネームが…(会場笑)アンナム市なんとかかんとかに…これは映画を観る目がある人達が反応する映画なんだな…普段は他の韓国映画を観て、ここが残念だとか言っていた方々が、急にこうして…おられる姿を見て僕は、僕がこの映画を観て、反応したり、良いと思ったりしたポイントを、共有している人が結構多いな。と思えて、それで最初に、今は考え直しておられますが、僕は最初から決してそんなことはないと思いましたし、多くの人が映画について話してくれて嬉しかったんです。

何人か他の若い監督と話してみると、こんなことを言っていました。ああ、『アシュラ』は本当に口惜しい、と。あるいは、今のキム・ソンス監督は…イ・ヒョンスン監督は最近活動がありませんが、あるいはイ・ジュニク監督、こちらのキム・ソンス監督、ひょっとするとパク・チャヌク監督も、活発に活動されている監督の中では年配といえる方々ですが、適当な作品で損益分岐点辺りのヒットを飛ばし、それに満足するような映画を撮るのではなく、こうして何らかの特別な現象を巻き起こし、独特なファンダムも生み出し、皆に喜ばれるような、そして監督自らも、本当に作りたかった映画で、ご自身の生涯に残る映画だと言われる作品を作り得たことは、後々にも役に立つことではないだろうかと、僕には思えます。

もう一つ申し上げるとすれば、僕が仕事で映画について話すとき、『鳴梁』(邦題:バトル・オーシャン 海上決戦)のチェ・ミンシク、『お嬢さん』のハ・ジョンウ、というように、俳優の名前を用いて映画の話をします。ところが『アシュラ』は、『アシュラ』のハン・ドギョン、『アシュラ』のト・チャンハク、ムン・ソンモ…僕が特定の韓国映画を観て、こうして名前を覚えるケースはめったにありません。それを取ってみても、この映画は僕にとって大きな映画、良い映画なのだなと思わされます。そして、僕がこれまで好きだったジョン・ウー的な、レオーネ的な、ペキンパー的なものを本当に上手く混ぜ合わせて…オ・スンウク監督の表現を借りれば、それらが合わさって、それらをすべて超越してしまった、そんな映画に出会えたことが、僕には、2016年韓国映画界において、個人的にとても貴重で、祝福のような経験でした。一応、国内ではCine21が、良い雑誌のうちに入ると思いますが、その雑誌の編集長がこれほどに…思っていることを、分かって頂けると有難いです。(会場拍手)では、監督の今日の最後のお言葉を…

監督 その…例えば私の世代にとっては、Cine21や、釜山映画祭は…私が映画を作っていなかったとしても…私はCine21や釜山映画祭の中心となるような重要な監督ではありませんが、とても大切な方々であり、大切な映画祭です。私が映画界に入り、映画監督を夢見て、映画監督になる過程で、若い仲間達が映画サークルを作ったりして、映画への夢を育んできましたが、私が助監督を務めた頃は、韓国映画を観る人がいませんでした。

私自身すらも、パク・グァンス監督の助監督を務めていながら、韓国映画を上映する劇場に入るとき、周りに目を配りました。もし私の同僚達に見られやしないかと…なぜなら、「お前、何で韓国映画を観るんだ」と言われるので…当時、韓国映画の占有率は10%足らずでした。それだけ韓国映画が…韓国の観客からも軽視されていた頃でしたが、運の良いことに、私がデビューした頃から韓国映画が韓国の観客達から愛されるようになり、そのとき、Cine21と釜山映画祭が肩を並べていたと記憶しています。

実のところ、多くの人にとって、この両者の影響力が昔ほどではないので、もどかしい思いですが…釜山映画祭は近頃とても多くの困難に直面していますし、それからCine21は…気丈に、韓国映画を精密かつ正確に、そして暖かい愛情を持って覗き込んでくれていますので…Cine21はたくさん読まれるべきです。(会場笑)私も旅行に行くときなどに何冊か買っていきますが、人に与えると喜ばれます。Cine21の編集長が私の映画を応援してくれたからといって、Cine21の他の記者達が『アシュラ』の悪口を言ったからといって、Cine21をより好きになったり、嫌いになったりはしません。本当にCine21が上手くいくことを願います。(会場笑)

今の韓国映画は…かなり危険な状況だと思います。それでも去年、様々な良い映画がありましたが、韓国映画を代表する、パク・チャヌク監督、ナ・ホンジン監督、キム・ジウン監督といったような…監督達は、投資・配給会社が求めるような型にはまった映画を撮ってはいないでしょう?韓国を代表する監督達が型にはまった映画を撮っていないということが、とても素敵だと思います。こちらに『アシュラ』に投資してくださった方々も来ておられますが、その方々すらも同じ考えだろうと思います。何らかの資本の論理によって、映画が裁断されすぎて、一つの方向に進み、観客の機嫌を取ろうとする映画ばかり作られると、結局、観客からそっぽを向かれることになります。私はそんな時代に映画を始めましたので、韓国の人が韓国映画を観ずに貶める時代がいかにおぞましい時代なのかをよく分かっています。そんな時代が訪れることは…本当に、想像したくもありません。

私もまた、ありふれたノワール映画を撮りましたし、先ほど言われたセルジオ・レオーネやペキンパー、黒澤といったような監督達の映画から洗礼を受けていますが、そんな監督達の映画から、何らかのテンプレートを借りてきて映画を撮ると、あまりにも分かりきった映画になりますので、私自身も今の雰囲気に便乗して映画を撮ってはいますが、少しでも違う映画、私の解釈が込められた映画、そして、観客が違った形の快感を覚えることができ、異なる観点で見ることができる映画を作ろうと、私なりには努力したわけです。ところが映画を作ってみると、至らないところが多かったですね。まだまだ及ばないなと…まだ及ばないのか、それとも私に才能が足りていないのに、映画監督をやるという意地を張ってここまで来たのかと思えたりしますが、私はもう引き返せないでしょう?私の年齢もそうですし、私は他のことを…できなくはないでしょうが、やることもないですから…映画に専念すべきです。

ただし、皆さんが心配なさらなくていいことがあります。私と同年代の監督達や映画人達が、まだ映画界に少しばかり残っていますが、その人達は皆さんが考えるように投資者の機嫌を取ったり、千万映画を作ろうという考えに陥っているわけではありません。なぜなら、私がこの歳で千万映画を作ったからといって、私の映画監督としての寿命が延びるでしょうか?絶対に違います。私がいくら千万映画を作っても、あなたは既に、流行りの歌を歌うには老いすぎた。と思われた瞬間から、二度と私に投資しなくなるからです。それは私が映画界に30年以上身を置きながら見てきたことですので、私はむやみに上手く歌えもしないBIGBANGの歌を歌いたいと言ったりしません。そもそも歌えません。

皆さんは、私達のように旬を過ぎた監督達が、何か違うやり方で映画を撮ろうとすることを、アスリアンの皆さんが、こうして、大らかな視線で映画を観てくださっているように、映画界の老いさらばえた人の中にも、ある人々は、何かしら違う解釈と方式で、各々の映画を見せる努力をしていることを、好意的に見て下さり、また、そういった役割をCine21が務めて下さっている。だから私がここまでCine21をおだて上げたのですが、(会場笑)なぜなら、誰かが、そんなふうに見てくれる人がいるという、漠然とした期待がなければ、映画を頑張って作るのは難しいんです。私は栄耀栄華のために映画を始めたのではないですから。幼い頃から映画が好きすぎて、映画の事以外は考えたくもなかったので、若い頃、遠い星に映画の星と銘打って、その星を追ってこれまで歩いてきたのですが、私はパク・チャヌクのように才能に優れた人ではありませんから、あの星をあまりにも長く見ながら歩んできたために、惰性に流されたりもしています。

しかし『アシュラ』は、私なりに、これは私の映画だ。と思って作りました。少ない人数でも、映画をまともに見て下さる方々がいて、やり甲斐を感じますし、こうして映画界に影響力をお持ちの方が、映画を好意的に見て下さって、感謝も覚えています。これからも映画を頑張ります。ありがとうございます。(拍手と歓声)

(キム・ソンスは!)(映画の神だ!)
(キム・ソンスは!!!)(映画の神だ!!!)
(アシュラは!!)(最高の暴力映画だ!!!)
(Cine21は!!)(韓国映画の / 映画雑誌の神だ!)

司会 最後は訓練ができてなくて、調子が…(笑)とにかく、今日は本当にありがとうございます。長い時間をかけてお話ししてくださったキム・ソンス、映画の神に対して、今一度大きな拍手をお願いします。

17.02.10 韓国映像資料院『アシュラ』上映後対談 [2/3]

17.02.10 韓国映像資料院『アシュラ』上映後対談 [1/3] よりつづく

司会 そこでさらに驚いたことは、最初に想定した度合いから、さらに進んでいくところです。そうやって顔を壊して葬儀場に登場させたチョン・ウソン俳優に、コップを噛み砕かせる。つまり想定していた地点からさらに進み、描写が強くなるところが僕には…容赦のない方だな、と…(笑)

監督 カップを噛むシーンは、実は最初はシナリオにはなく、撮影中にそのシーンをめぐって何度も会議を重ねました。ハン・ドギョンはパク・ソンベの猟犬ですが、猟犬が牙を持っていながら主に噛み付けないのは、主が怖すぎるからです。まだ主に歯向かえない、だが、歯向かいたい猟犬が、自らの主に何らかの抗弁をするシーンだと思っていました。私をこれ以上苦しめるな、私をいじめるな、私を殴るな、私もあなたに噛み付くことができるという…そう思いながらもパク・ソンベに歯向かうことはできないため、自害をすることで自分の存在を証明しようとする、古臭い韓国男性達の格好悪い習性といいますか。その表現の仕方を…どうすべきか悩んだのですが、ハン・ジェドク代表が…カップを噛み砕かせるとよさそうだと言いまして、チョン・ウソン氏を含む多くのスタッフが反対しました。変すぎるし、突拍子もないと…(客席笑)

撮影当日の朝もウソン氏が来て「兄さん、これやらなくちゃダメか?」と聞いてきました。それで私は…昔からやりたかったんだと答えました。(客席笑)切実そうに、これ本当にやりたかったんだけど、一回やったらダメか?と言うと、「やる」と。それでやってもらったのですが、あれは、とても分厚い砂糖です。普通、砂糖ガラスを使うことは事実ですが、普通の砂糖ガラスだと透明度や硬度の面で映りがよくないため、砂糖ガラスでありながら、本当のガラスのように思えるものです。それを噛み締めるシーンを撮るとき、スタッフと周りが全員凍りつきました。まるで本当にその場面を眺めているような気がして…口の中には固形の血がありまして、それを含んでいるとそれが溶けて血液の形となり、そのときに噛むと口から血が弾け出るようになりますが、そのシーンが与えるゾッとするような感覚が、撮影場を凍りつかせたのです。すごく良いと思いました。

(映画の神だ!)(拍手)
(キム・ソンスは~)(映画の神だ~)
(キム・ソンスは!)(映画の神だ!)

監督 (*急な掛け声でややリズムがズレたので)魂のこもってない声でやってますね。(一同笑)最初のような感動は感じません。

司会 今日、外で監督がサインをしたり、そういった時間まで考慮しますと、持ち時間自体がそう長くありませんので、客席の質問も受けないといけませんから、僕からはさらに2~3個だけ質問をしたいと思いますが…

僕の気になっているキャラクター、もしくは最も僕の心を動かし、この映画であえて、最も可哀想な人を選ぶなら、妻と、ソンモだと思います。(客席泣)(ウン・チュンホ)(Yoonhee Steel Alive)なぜかといいますと、この映画はショットの構成から流れまで、本当に予想通りに進むものが一つもありませんが、あえて一つ、平凡なドラマのように演出したところがあったとすれば、二人が商店街のようなところで定食を食べるとき、食べながら焼き魚をよこしてあげる…それを後で衣装まで変えて、ソンモがスーツを着て来たときは立場が変わり、ソンモがよこす…あるいは抗弁のように。その場面の構成は…この映画の中では慣習的な設定ともいえますので、こんな設定をしてまで、この二人の関係、兄弟的関係のようなものを表現していると思います。

後でソンモが、あえてハン・ドギョンを遠くまで連れていって、ああしたのは、兄を生かそうとしたんだと思うんです。ひょっとすると。あちらは完全に阿修羅場になるはずですので、引き出してあげたんです。その場所から。それで僕は、最初から殺すつもりはなく、後で争い合って、自暴自棄のまま銃を持ってはいますが、隣にハン・ドギョンがいるのに目を閉じたりもしています。殺すつもりがなかったのに自らは死ぬことになったのだと思いました。二人の関係、ソンモについて…

監督 最初にシナリオを書いたときから、ソンモは、ハン・ドギョンの別の姿という考えを持っていました。鏡の中の姿といいますか…あるいは、過去に悪に染まる直前の自分の姿であり、別の側面では、悪に向けて、パク・ソンベに可愛がってもらうために突き進む自分の姿…つまり、自分の過去と現在と未来が同居する、投影された自分自身のもう一つの姿だと思っていました。

映画の最後…ソンモは堅い義理で結ばれた弟分というよりは、自分で自分を撃つような、そして、自分が倒れている自分に向かって這い進んでいく…『トムとジェリー』で、トムやジェリーの頭の中で、片側には悪魔のトムがいて、反対側には天使のトムがいるように、そういった投影された人物、純真さと奸悪さが共存する、そんな存在に見えることを望みました。それで、自分がソンモにした行動は、ソンモが自分に返してくる…自分が鏡に向けて何かを渡すと、鏡の向こうの手がこちらに伸びてくるように…そういった抗弁…少々古臭い感は否めませんが。そういった設定をしていました。

司会 互いを気遣う姿を、あえて見せたのは…

監督 あるいは自己愛かもしれませんし…自分の姿が投影された人に対する…この映画は暴力に関する話であり、悪に関する話ですが、実のところ、暴力が男の間や社会に存在するのは、その暴力で権力の序列を表しているのでしょう?位階秩序を。上下を。そして韓国社会における先輩・後輩といった関係…大学であれ、軍隊であれ、どこであれ、そんな場所には、権力の何らかの承継や誓い、見えざる誓いがあります。互いの間に。しかし、そういった誓いや義理といった関係は、覆って当たり前です。それが永遠に続く姿は一度も見たことがありません。そういった姿に当てはめたのだと思います。

司会 それから僕が映画を観ていますと、「ジョジナベンベン 조지나 뱅뱅(男性器をクルクル回転させるといった意味。日本語字幕 / 吹替版は「ケツでも舐めてろ」)という変な台詞が…(一同笑)しかしシナリオを勢い任せに書いたというよりは、計算づくで配置されているように感じました。ジョジナベンベンという台詞を言うのはハン・ドギョンとムン・ソンモの二人であり、ハン・ドギョンは、最初はキム・チャイン検事に言い、最後にパク・ソンベに言いますよね。そしてソンモは、兄貴分のドギョンに言います。これを考えながら観ると、最初はふざけている台詞だと思っていたのが、配置に計算があるのではないか、と思えたのですが、合っているでしょうか。

監督 そうです。今回、DVDに入れる、ジョジナベンベンと言うシーンがもう一つありますが、(嘆声 → 歓声と拍手)私がアスリアンの方々に…尊敬するアスリアンの方々に捧げるささやかなプレゼントです。(大歓声と拍手)(ジョシナベンベンだァ~!)しかしジョジナベンベンという言葉は、実は…その言葉を見つけるために会社の内部でも何度も会議を重ねています。(聴衆笑)ハン・ジェドク代表は、そんなダサい言葉を…兄貴が昔使っていたダサい言葉を使っちゃダメだろうと、洗練された最近の悪口を使うべきだと…じゃあ何だと聞くと、ジョットロヴァイキング좆도로 바이킹と言うではありませんか。(聴衆笑)呆気に取られてしまいましたね。私の時代にもあった言葉ですが、ほぼ場末の言葉です。誰も認めません。

ジョジナベンベンという言葉は、実のところ非常に低俗な卑俗語であり、何らかの意味を込めているというよりは、韻律的な…擬態語でありながら擬声語でもあるような、そんな言葉ですが、それは実は、悪口ではあるのですが、相手に対して質問や、何らかの反応を聞き出すために言う言葉ではありません。私があなたに投げかけるこの表現は、あなたを私はこう見てるという、私はお前をこんなふうに見るしかないという…そういった意味を集約させた表現ですので、ただの悪口というよりは、私はお前をあまりにもくだらないと思い、軽視しているので、私はお前のことをこう言い表すしかない…というような意味を込めた表現を探していると…やはり、私が幼い頃によく使っていた言葉を見つけることになりました。(笑)

司会 ナレーションについても人々がよく話していますが、ナレーションだけ抜き取って、切り分けて考えてみますと、『ビート』では「僕には夢がなかった」と言い、この映画では最初に始まるとき、「人間が嫌いです」「勝つ方が味方です」と言いますが、最後にもナレーションがありますよね。

監督 しょうがなかったんです…

司会 こうなると分かってました。分かってましたが、しょうがなかったんです…その台詞についてよくよく考えてみますと、まるで何回も死んでみたことがある人が言う台詞ではないかという気がして、次にまたこのハン・ドギョンに何らかの形で会うことができそうだという想像すらも掻き立てる、そんな台詞でした。聞いているとゾッとしました。何回か死んでみた人だから言える台詞に思えて…

監督 それは本当に、正確に見てくださった気がします。(嘆声)元々のシナリオでは、シーンの設定からして違いますが、人は誰もが死ぬ…ユン・ジェムンさん、ファン班長を指して、「あの兄貴も、俺じゃなくてもいつか死んだはずだ」と言いながら始まり、映画の最後も、「人は結局、誰もが死ぬ。それで俺も今日死んだ」といったふうに、一番最初の初稿にはそう書いていました。

私が『アシュラ』を作ったのもそうですし、それ以前の映画でも、私が持っている考えの一つは、人は誰もが死ぬでしょう?死に向かって一歩ずつ近づいていくのが私達の人生ですが、それを否定したり、認知せずに生きてこそ私達は希望を抱き、様々な欲望を持って生きていくのだと、日頃から思っています。特に『アシュラ』は、映画の設計自体が、中心人物である5人を、葬式、出口のない葬式場の、さらに底辺へと押し込む構造を持っているので、この映画は死に向かって進んでいく映画だと考えました。

最初からその考えが確固としてあり、結局皆死ぬのに、あのくだらない連中が…躍起になっているわけでしょう?最近、頻繁に海外に出入りしていたのですが、外に出ると、韓国の状況を見なくて済むのですごくよかったです。でも帰ってくると、怒りも覚えますが、一方では、あの連中もそのうち死ぬだろうに…(客席笑)何が欲しくてあんなに躍起になってるのやら…こんなことを考えながら…私は気が小さいのです。小心者ならではの憎悪をぶつけているわけですが…そんな考えが深く根差していたようです。以前の映画のときも、『武士』のときもそうでしたし、今もそうです。これからもそうだろうと思います。

司会 サム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』も、『武士』も、孤立した人々、無事では済みそうにない難関にぶち当たった人物達の苦痛といったものを描いています。監督の映画を語るとき、サム・ペキンパーやセルジオ・レオーネを連想する人が多いですが、僕も熱狂していた映画がそっち方面でしたので、取り分け最後に40分余り続く斎場シーンは、本当に、そこだけ再生したことで計算すると10回以上観たと思います。IPTVで所蔵してるので。そこで、最後の一発を落として後から使うことは、実は何度も目にしてきた設定でもありますし、最後に、あいつは弾が切れたのに、なぜあんなことをしてやがるんだと、何の警戒もせずに近づいて、一撃でくたばる…それを観たとき、僕は完全に、逝ってしまいましたね。(客席笑)

監督 私はこの、マカロニウェスタンの地獄に閉じ込められている気がします。ここから永遠に抜け出せない気がします。(一同笑)

司会 分かっちゃいるが、しょうがないんですね。(客席笑)それから、こっそり録音機を隠し持っていくことは、アンダーカヴァー活動をする者達によく用いられる設定ですが、その男が突拍子もなくそれをバラし、両者を対面させるのもまた、卓越とした優れた設定でしたし…

監督 チュ・ソンチョル記者からこんなことを言われると、気分がすごく良いですね。(客席笑)ありがとうございます。(拍手)

司会 時間がだいぶ経ちましたので、そろそろ客席の質問を少し受けたいと思うのですが、手を挙げてくださると…


質問者1 (長いのでバッサリ要約)『アシュラ』の興行惨敗は、反政府的なメッセージを込めた映画に対する、国家情報院またはCIAによる工作では?

監督 お話中に中断させて申し訳ありません。そうではないと思います。(客席笑)なぜなら、私はいまこう受け止めています。私は大衆映画を作るわけですし、面白いノワール映画を撮りましたが、私の計算が、多くの大衆が求めるものと違っていたことに気づきました。そして、私が得られたさらに大きな気づきは…私としては本当にやりたかった映画です。書きながらも作られるとは思いませんでした。私の生涯の映画を作ったわけですので、ああ、お前は現実の栄光までも欲してはならないのだ。という、そんな貴重な教えを得られた気がします。(拍手)

質問者1 もう一つ質問があります。アンナム市長の名前はパク・ソンベです。ソンベは、キリスト教ではイエスの聖杯(*発音が同じ)を意味します。車から忠義深い執事を落として殺すシーンでも、音楽が流れますが、その音楽の歌詞はイエスの手が殺人を犯すという意味に解釈できます。聖杯はイエスの体であり…

監督 パク・ソンベのパク박氏は、皆さんが推測しがちな、あのパク氏から取ってきたように思います。(客席笑+嘆声)ソン성は、私の名前のソン성です。(客席笑)私の年頃の人にとっては、ベ배が入る名前は、キム・ジュンベだとか(客席笑)少し野暮ったい印象がありますので、実際にパク・ソンベというお名前をお持ちの方には申し訳なく思いますが、そうやって組み立て終えると、私の頭の中でその人物が描き出されるのです。それで…そうしました。HOLYというわけでは…客席笑)

司会 作名の神ですね。


質問者2 アンナム市民です。僕は部長検事が一番好きですが、なぜなら、あちこちから賄賂をもらっておいて最後まで生き残った悪人だからです。(客席笑)部長検事はその後どうなるのか、構想をお持ちなのでしょうか。

監督 ………………… (客席笑)…私が映画で目指したことは、すべての悪を殲滅すること…彼らが立っている足場が、彼らの下手人によって崩れ落ち、壊滅するラストを夢見ました。ですが…その、オ(チョルスン)部長検事が抜け出したことにまでは考えが至りませんでしたね。(客席笑 嘆声)すべての権力者は、どこかしらに生き延びて、再び悪の傘を広げて、私達をその影に引き入れるのだと思います。それはどの歴史でも、韓国も非常に大きな渦の中にいますが、そんな連中は常に生き延びて、悠々として権力を、目に見える暴力であれ、見えざる暴力であれ、行使するのだろうと思います。…深く考えたくありません。(会場爆笑)興味の外の人物でしたが、一度考えてみることにいたします。


質問者3 『アシュラ』を観て多くの方々がアンナム市民を自称し、アンナム市という空間に愛着を見せています。もしかして、このアンナム市という仮想空間を、もう一度だけ利用して、他の映画をお作りになる計画はないでしょうか。(客席歓喜+拍手)

監督 ……………面白い考えですね。………(客席笑+拍手)



質問者4 映画の神がアンナムを創造されるとき、最も重点を置いた部分と、それを映画で具現するとき、さらに深化された部分があるのか気になります。また、十字架を(CGで)消したとのことですが、その理由についても伺いたいです。

監督 実はその話、外で、映画を観に来ずに、何人かのアスリアンの方々と話してるんです。十字架は、私の母が勧士(平信徒の中で重要な職位)なので、中高生のときに教会に通いました。それがウンザリだったので、ただ嫌なので消しました。(客席笑)ごめんなさい。元々はあるのが正常なのですが、嫌だったもので、たくさん出てくるので。映画に。見るのが嫌だから消したんです。

それから…私は70、80年代に学校に通いましたが、70、80年代には、再開発事業が南韓の土地全体で猛威を振るっていました。私達の国の人々が、私達民族が長く持っていた衣食住の構造を、すべて放り投げ、急に西洋式の生活をするべきだといい、何もかも変えていったように思います。それがアパート開発のような形で行われたように思います。元々、他の国も私が旅してみますと、アパートは、ほとんどが都市の庶民が、国民が寄り集まって暮らす…集まっているものの、共同体が破壊される構造でしょう?ですが私達の国ではその当時、不動産の価値を上げるために、アパートを生活の最も重要な条件として売り出し、開発を進めたように思います。

私が常々耳にした話は、アパート再開発、都市再開発、米軍基地の跡地を再活用することや、グリーンベルトが解除されるとき、とてつもない、天文学的な利権といったものが発生し、そういったものをすべて勝ち取った者達は、結局それらを主導した人々だったように思います。だからこそ、2017年の最近に至るまで、韓国のすべての高位官僚や国会議員は、不動産の違法取得に関与していない者がほとんどいないですよね。

私には、何らかの巨大な利権というと、都市再開発、それしか思い浮かぶものがなかったので、70、80年代にそういった都市再開発が行われる空間を考えた気がします。そして、今の韓国で成長の陰に隠されている…地域、工業団地、外国人労働者達がいる場所、そういったものが現在の韓国で最も、韓国の明るい面に隠された、最も膿んでいる箇所だと考えたため、そういったものが集約されている空間を設定して、名前も人々がどこかで聞いたような名前をつければ、私達の映画のゴッサム市であり、シン・シティではあるのですが、人々が少しばかり既視感を抱き、あんな場所では、あれらが集約された場所ならば、あんなことが起こるかもしれない。と思わせられる…と考えた気がします。(拍手)


質問者5 パク・ソンベ市長はキム・チャイン検事に対し、心にもないことですが、はじめは金で買収しようとしますよね。最初は5で、後ろに付く○は言わずに耳打ちをします。いくつなのか気になります。(客席笑 拍手)

監督 ……後で終わってから、あちらのホールにおいでになれば、私が耳打ちで…(客席歓声と拍手)(*後で本当に耳打ちしていました)

17.02.10 韓国映像資料院『アシュラ』上映後対談 [3/3]へつづく

17.02.10 韓国映像資料院『アシュラ』上映後対談 [1/3]

2017年2月10日 【シネマテークKOFAが注目した2016年韓国映画】
『アシュラ』上映後 キム・ソンス監督 + チュ・ソンチョルCine21編集長 対談

*この対談には、映画のネタバレを含む内容があります。
*キム・ソンス監督の発言はなるべく忠実に訳そうと努めましたが、
 司会者や質問者の発言、細かいやり取りなどは
 省略、編集している場合があります。

『キム・ソンスは映画の神だ!』
歓声を浴びながら登壇したキム・ソンス監督
(ファンからもらったスローガンを手に取り)
「可笑しすぎます」

チュ・ソンチョル Cine21編集長(以下 司会) 資料院にて何回も特別なGVを経験していますが、こんな雰囲気は初めてです。不慣れな雰囲気…妙な気分ですが、良い気分です。映画は楽しんで頂けましたね?(はい!)何回もご覧になられた方々もたくさんおいでだと思いますが、私は今日、4回目の鑑賞でした。(歓声+少しの揶揄)アスリアンというには足りない回数ですが…観るたびに新しい発見をする映画というよりは、私には最初に観たときから、ひたすら完璧な映画でした。(そのとおりです!)(毎回新しい!)それで実は今日、とても多いファンの方々がいらしてますし、私がどんな質問をするのか鋭く批評されると思いますが、とにかく今日、楽しい時間になれればと願っています。

新しい年を迎えましたね。去年の貸切上映、私は行けませんでしたが、あのときすごく…動画は見ています。その年を経たご感想はいかがでしょう。去年、本当にたくさんの愛を受けて…

キム・ソンス監督(以下 監督)(笑ってしばらく無言)『アシュラ』は…私にとっては、あまりにもやりたかった映画でしたので、作った後、私個人の満足度は非常に高かったのですが、映画が上手くいかなかったので、(悲しみの声)すごく憂鬱だったのですが、アスリアンの方々と一緒だった、【アンナム市民の夜】というあの上映会が、私にとっては…あぁ、生きているとこんなふうに、幸せな日もあるのだな。(歓声)私にとってはすごく…私の人生に衝撃を与えた日であり、とても嬉しい日でした。それが『アシュラ』において、最も嬉しかった日です。

ですが、『アシュラ』はやはり、映画を気に入って下さった方々の事を除けば…アシュラは憂鬱な記憶だったため、年を越しながら、早く忘れて新しい映画に取り掛かろうと思っていたのですが、今日、この場に来て…先ほど途中から観ようと、入ろうとしたのですが、外でアンナム市民の夜のときに会ったアスリアンの方々に会いまして、おしゃべりをしていたら入ってこれませんでした。(笑)アスリアンの方々もおられますし、そうでない方もいらしてると思いますが、映画を観に来て下さり、本当にありがとうございます。(歓声と拍手)

司会 監督が毎回、興行が上手くいかなかったとおっしゃる場面を見てきましたが、僕が数字を変えることはできませんが、僕なりに申し上げますと、去年、僕はVIP試写会で初めて『アシュラ』を観ました。僕は一般試写を逃した場合、VIP試写会で韓国映画を観ることがありますが、映画が終わって、僕が最後の打ち上げにまで残っていたことは…実に5~6年ぶりだった気がします。ご存知と思いますが、VIP試写は関係者の方々や監督がおられるので、否応なくその映画について話を交わすことになります。どう思った?演技はどうだった?と聞かれたり…正直特に…良いことを言えなさそうだ。または、心にもないことを言ってしまいそうだと思うと、そっと席を外したりしますが、その日は、本当に心から「映画が本当によかったです」「こうこうでよかったです」と、是非とも申し上げたくて、打ち上げに行ったんです。

ところが、僕にはそれができませんでした。なぜなら、すでに監督は周りの他の仲間、後輩の監督や俳優に囲まれて、僕は近づくことすらできなかったのです。それほどまでに、その日は、何というか…最近、ここまで多くの後輩、若い監督と俳優達が…他の映画の俳優達がです。俳優達が来て、その映画について語り、監督と一言でも多く話そうとする席があっただろうか。居合わせた他の人達も驚いていました。そこにいた人達は、キム・ソンス監督がこんなにも若い感覚、新しい感覚で戻ってきて、多くの人達の期待を満たしてくれたのだから、監督は興行成績が悪かったとおっしゃいますが、ここにいる方々が次回作に協力するだろうと、早く次回作に取り掛かれそうだという、確信を得た時間でした。

監督 いや…その日、そうだったからこそ、私は勘違いをしたように思います。映画が上手くいくだろうと勘違いを…なぜなら、私も映画を何本か作りましたが、同じ仲間の映画人達、特に若い後輩の監督やスタッフ、俳優達から、こうも熱狂的な賞賛や擁護を受けたことがなかったために、映画が上手くいくだろうと思ったのですが、いざ映画が公開されるとき、批評もそうでしたし、一般観客の評価も、あまりにも悪く…それで私は、少しの間、短い夢を見ていたような気がします。上手くいくだろうと。それが泡と帰し、(嘆きの声)私達の映画に参加した他の方々、ここに投資をしたCJの方も、〇〇さんと△△さんもおられますが、その方々も、失望させることになりました。でも、このように好いて下さる方々がおられますから大丈夫です。(拍手)(CJは投資の神だ~)

司会 こういうことを申し上げることもできそうです。ここにこういうものを用意してきている方々が、僕には…ツイッターでもたくさんお目にかかってますが…(客席笑)既存の他の韓国映画や外国映画で満足を得られない方々だろうと僕は思っています。いま何人か思い出しています。皆さんが普段呟いていることを僕は全部読んでいます。(どよめき)映画に対する愛情をこのように表し、『アシュラ』の細部にまで言及している文章を見ますと、僕は…こう表現していいか分かりませんが、とてつもない方々と言いましょうか、そのような趣向をお持ちの方々だろうと思いますが、そんな方々がこうして熱狂的に支持するということ自体が僕には…僕がこの映画を初めて観たその瞬間、あっ、これは僕の今年の映画だ、と信じた瞬間が、少しばかり報われたような…僕は本当に、Cine21年末決算のときに1位に選びましたので、(歓声と拍手)(映画雑誌の神だ)(司会笑)それだけ覚えていただいて、興行については、次回作でまた…

監督 Cine21の記者の方々は…アシュラを好ましく思っておられない方も大勢います。大勢いますが、私が最も重要だと考えた方は、こちらのチュ・ソンチョル編集長です。(祝う声)これでいいのです。それで、その…もう一度、大きくお願いします。(Cine21は映画雑誌の神だ!)(拍手喝采)映画のパク・ソンベに対して、OUTという服を着ていらした方々…本当にありがとうございます。(客席笑)格好いいです。(拍手)

司会 実は今日、チョン・ウソン…演技の神、チョン・ウソンさんが最初は来ることになっていたのですが…残念です。チョン・ウソン俳優は、僕も大ファンですのでお話しさせていただきますが、どのような快感があったかといいますと、こちらにお見えの方々は少々…僕からすると若い方々が多くお見えですので、『ビート』という作品を生涯ベストに挙げるような方は…(『ビート』映画館で観ました!)(僕には夢がなかった)(未成年だったけど観た!)(歓声)…それが僕にどんな快感と妙な感情を与えてくれたかといいますと、名高い大物俳優の方々、ソン・ガンホ、ソル・ギョング、チェ・ミンシク、ハン・ソッキュといった方々は、元々最初に登場したときからオッサンでした。ですよね?

『アシュラ』に出てくるクァク・ドウォンさんやファン・ジョンミンさんも、最初に出てきたときから、すでにオッサンでした。僕達は彼らの青春時代の姿を知りません。ところが『ビート』のチョン・ウソンが…20年を経て『アシュラ』に、あのような姿で登場しているのを見ると、本当にこみ上げてくる何かがあるのです。今でもこみ上げてきてます…(客席笑)言うなればこういうことです。韓国映画界で、そのような姿を見せてくれた俳優は、アン・ソンギ俳優の外にはいません。若い姿を見せて、年老いていく姿を見せながら観客と共に進むケースがないのですが、そのアン・ソンギを継いだ俳優が、実はチョン・ウソン俳優です。

それで『ビート』から20年後の『アシュラ』に登場した、傷ついた顔を見る気分は、本当に妙な感覚です。海外で例えるなら、ジャック・ニコルソンのような俳優が若い頃『イージー・ライダー』に出演して、『イージー・ライダー』から20年後が『シャイニング』です。あるいはチョン・ウソン俳優の『シャイニング』のような作品といえそうです。ところがジャック・ニコルソンがさらに年老いて、『恋愛小説家』だとか、『アバウト・シュミット』のような作品を、彼と一緒に老いながら観ていく感覚がありますが、そのような感覚を非常に良い形で与えてくれて、僕はチョン・ウソン俳優への感謝に堪えません。ああ、あの俳優が成長していく過程を、観客として観ることができて嬉しい。その感覚が得られたのです。いらっしゃらなくて残念ですが…

監督 チョン・ウソンのせいで…今日たくさんいらしたんですかね?(笑)*初公表時はゲストに記載があったが、後に削除 (違いま~す!)(キム・ソンスのせいで来た!)(映画の神だ!)

司会 こういったことは何度も申し上げていますが、キム・ソンス監督がもっと適切にお話ししてくださるだろうと…

監督 まずチョン・ウソンは、来ることになっていたのが、撮影スケジュールのせいで来られませんでしたが、私に3回ほど電話をしてきました。「行くべきじゃないのか」と何回も…いま釜山にいますが、いまとても重要な作品を撮っていますし、方言を使う北朝鮮軍…方言を習うのが大変なようです。撮影日程を変えてまで来るのは望ましくないですから。皆さんにこれだけは伝えてほしいと言っていました。自分はいま釜山にいるが、一緒にいるのだと。(歓声)(演技の神だ!)私は…このシナリオを最初に書き上げたときは、周りの人達も好意的に見てくれませんでしたが、ハン・ドギョン役をチョン・ウソンがやることについては…チョン・ウソンがそんな役をやることを観客がどう受け止めるだろう…あえてこれをやる必要があるのか。こんな話をよく耳にしました。そして、シナリオが完成する前に、チョン・ウソン氏がやると言ってくれていましたが、いざ初稿を見せてやると、チョン・ウソンが何と言ったかといいますと、「兄さん、これ、何ですか?」(客席笑)「変か?」と聞き返すと、自分が今まで見たシナリオの主人公達とはあまりにも違うので…自分に上手くできるのか?自分がやればどう受け止められるか心配だと…

周りの人々やチョン・ウソン氏本人もそう言ったのですが、私は…私とハン・ジェドク代表が、執拗に、必ずチョン・ウソンがやるべきだと考えた理由は…自分のやりたかった映画だったので、自分の映画の延長線で考えたのです。『ビート』や『太陽はない』のときに、10代、20代の、やや社会のアウトサイダーである青年達、既成社会を嫌い、それに取り込まれることを望まない、先ほどおっしゃったように「僕には夢がなかった」というようなことを話す、そんな若者が、結局は、歳月のトンネルを抜けて、彼が嫌っていた、その社会の一員となり、自分が嫌い、憎んでいた大人の中でも取り分け嫌悪すべき人物となって生きる姿を見せるべきであり…そして、それがチョン・ウソンであるならば…ああ、あの青年が、成長して20年が経って暮らしているあの社会は、あのアンナムという都市は、誰もが悪の巨大な根っこに絡め取られて生きているのだな。という感想を与えるだろうと思ったのです。もちろん、私の勘違いだったのか、正しかったかどうか分かりませんが、それで私は、必ずチョン・ウソン氏がやるべきだと思っていました。

司会 『太陽はない』を初めて観たとき…僕のみならずファン達がショックを受けたのは、チョン・ウソン俳優の顔をあんなふうに傷つけていいのか…ボクサーではありますが。ところが今回の映画は本当にひどいでしょう。それをリアルに見せてくれているのが、ト・チャンハクが毛布を被せておいて、本当に長く殴るでしょう?それをあんなに長く見せることに衝撃を受けるほどに…なぜこんなに長く見せるんだ…と思わずにはいられませんでした。既存のチョン・ウソンというものを完全に壊す行為ということも、少し表現しているカット構成だと思いました。あるいは、韓国映画界で、チョン・ウソン俳優の顔を好き勝手にできる唯一の権限をお持ちの方だとも思いましたし、(客席笑)そうして傷ついた顔で最後の葬儀場に登場すべきだとお考えになったようですが、そのことについてお伺いします。

監督 こちらにおいでの方々は、サナイ・ピクチャーズのハン・ジェドク代表の写真を見たことがあるでしょうか。最初の目標は、チョン・ウソンの顔をハン・ジェドクのように見えるようにしよう。でした。(感嘆と歓声)私達はチョン・ウソン氏の顔に1時間ほどメイクを施しましたが、それは、ブサイクに見せるメイクでした。(感嘆)(ハン・ドギョンはブサイクです!)(客席笑)チョン・ウソン氏は元々美容に気を使う人ではありませんが…彼も幼い頃には少々環境が険しかったので、顔にいくつか傷があります。映画やCMを撮るときは傷がある部分を隠すメイクを施しますが、今回の映画では、チョン・ウソン氏の顔の少しでも傷がある部分を、増大させ、それがとても古い傷に見えるように拡張させる、そういったメイクを施しました。そんなメイクをナチュラルに施した後、映画が始まってから徐々に顔の傷が増えていく…苦境に陥った男が、苦境を避けようとしてさらに大きな苦境に陥る…そういったお話でしたので…チョン・ウソンという名前と顔に何らかのメタファーがあると考えました。それを…破壊しようとしたといいますか。そうやって汚すことが、この映画が歩んでいく道だと思ったのですが…いくら壊しても、顔が…上手く壊れてくれなくて心配でしたね。(笑)

17.02.10 韓国映像資料院『アシュラ』上映後対談 [2/3]へつづく

2017年9月6日水曜日

勝利の回数よりも、どんな種類の戦いをしたかが大事


キム・ソンス監督は、なぜ阿修羅場を繰り広げたか…ブーメランの逆説
(2016-10-13)*以下のインタビューは、映画のネタバレを含みます。

Q. 公開初期から観客の反応が熱かった。良い方でも、悪い方でも。
A. 予想したとおりだ。当然、反応が分かれるだろうと思っていた。

Q. 『武士』以来、初めて自分で書いたシナリオで演出を行った。
A. デビュー作『ラン・アウェイ』や『ビート』、『太陽はない』は脚色のみ行い、『武士』は自分で書いた。それから久方ぶりだ。

Q. 『アシュラ』のどこに刺さったのか?
A. ノワール映画をやりたかった。このジャンルの映画はとても多いが、作るなら新しい映画にするべきだと考えた。悪者だけが出てくる映画にしたかった。普通、犯罪アクション映画で下っ端は少しだけ出てきてボスの後ろに隠れ、一撃で死ぬようなことが多い。なぜあんな生き方をするのだろうと思ってしまうが、そんな姿が私達の姿ではないだろうかと思った。そんな人々の一人を中心に据えてはどうだろうか。そうすればフィルムノワールというジャンルの中で普遍的価値、私達の現実を投影できそうだと考えた。また、悪人のみが出てくるお話を作るのも面白いだろうと考えた。それを躊躇していたのは、善なる人が不当な者に立ち向かうわけでもなく、正当な暴力を掲げて勝利する構図でもないため、果たしてこの映画に投資する者がいるだろうかという心配があったからだ。

Q. ならば製作会社サナイ・ピクチャーズに出会えたことは天運だっただろう。
A. そうだ。おそらくハン・ジェドク代表に出会えていなければ、最後まで胸の中に秘めていただろう映画だ。『風邪』(邦題:FLU 運命の36時間)を終わらせて、より遅くなる前に私のやり方の映画を作りたいと思った。しかし皆、映画化するのは難しいだろうと話した。そこでハン・ジェドク代表がシナリオを読むと「面白そうですね?これ、やりましょう」と言った。

Q. しかも凄まじい俳優陣が揃ったのだから、プレッシャーもかなりのものだったはずだ。
A. 家内もキャストを見ると「こんな俳優でこんなものを撮るの?直して」と言った。天がくれた機会なのだから、より慣習的で大衆的な映画を作るべきではないかという考えがしばしよぎった。一方では、このような俳優が付いたからこそ、このような映画を作ることが可能だとも考えた。この人達が出てきてこそ、少しでも多くの観客が観るであろう映画なのだから。神が私に与えた祝福と考えた。

Q. 映画の主な舞台であるアンナム市はどうやって作られた?安山と城南を合わせた都市のように思えた。
A. アンナムは都市貧民の集う地域の印象を与えたかった。過去の匂いがする、衰退した、不敗した都市に感じさせたかった。また、ソウルに付いている衛星都市であってほしかった。ソウル近郊の立ち遅れた都市なら何という名前にするべきだろうと考えた。実際の都市を組み合わせて作ってみたりもした。アンナム市というところは存在しない場所だが、「どこだか知っている」という人が多かった。存在しないが存在していそうな、類似記憶を刺激する場所という点において、名前を上手く付けたと思った。

Q. いかにしてそんな空間とイメージを掴んだのか。
A. ソウルで生まれ育った私が経験した70~80年代は、凄まじい開発ブームが巻き起こった。少しでも立ち遅れた地域なら、壊し、掘り返し、新しい建物とアパートを配置した。そしてしばらく経つと開発不正に関するニュースが流れたりした。私が見てきたそういった見慣れた風景をアンナムという場所に展開させれば、都市をめぐる暗闘を演出できるだろうと思った。

Q. アンナム市の極端な状況と暴力の過剰さが非現実的に思えるという指摘もある。
A. 常にこういった物理的暴力と極端な状況が発生するわけではないが、私達の社会ではより悪どい人々が動いている。国民の事をまったく考えない者達が口先だけのことを言うケースを、ニュースでも多く目撃できるではないか。

Q. 検索、警察、政治圏の描写が事細かになされている。取材過程が気になる。
A. 地方支庁勤務者、現職警察、副市長と市長、それらの随行秘書、地方都市の土建勢力、実際のゴロツキ、建設会社の社長など、様々な人々を紹介してもらい、会ってみた。二人の刑事に手伝ってもらい、元検事の弁護士、現役検事にも会った。ただ、検事は発言に慎重だった。警察からは、『不当取引』(邦題:生き残るための3つの取引)のときにリュ・スンワン監督を助けた刑事を紹介してもらった。

Q. 葬式シーンのために駆け抜けてきた映画のように思える。まさに生々しい地獄の再現だった。
A. 私達の映画を一箇所に凝縮させた空間だと思う。秘書室長の葬式場だが、それにより核心となる人物が一箇所に集まり、凄まじいことが繰り広げられる。多くの会議とリハーサルの末に完成したシークエンスだ。

Q. 重点を置いたポイントは?
A. この映画の中の路地や道はほとんどが狭く、薄暗い。迷路のような路地の数々を抜けてたどり着く場所が葬式場であるべきだと考えた。葬式場はセットを組み立てて撮ったが、あえて窓を設けなかった。俳優達すら、撮影中に密室恐怖症になりそうだと言って苦しんだ。その姿を見ながら「私は上手くやっているようだ」と思った。(笑)人物達を地下の密室に押し込んでこそ、ここが世界の果てだと思い、自らの主にも噛み付ける状態になると思った。そこは私達の映画の終着点であり、映画冒頭の行為を繰り返す空間である。自らの悪行のブーメランを受ける場所。悪人達が懲らしめられ、彼らの腐った魂が消滅し、鎮魂曲が奏でられる空間にするために、全てのセッティングを行った。

Q. 一方、葬式場シークエンスは残虐すぎて暴力を展示しているという批判もある。撮影時、このような視線への懸念はなかったか?
A. なかった。私はもっとやりたかった。アクション映画監督して、暴力シーンを撮るときは観る者に通快感を与えるべきだと思う。そうするには主役の感情は極大化させ、やられる相手の人格や表情は消して撮らねばならない。暴力の暴力性を取り除いてこそ、楽しい見物と思うことができる。私は暴力シーンで観客に血が飛ぶ感覚を与えたかった。観客を楽にさせてはならないと思った。

編集時に、音響も普通のアクション映画で出てくる音は一切使わず、いろんな音を組み合わせて、聞いたことのない音を作って使った。観る者をゾッとさせ、居心地悪くさせるべきだった。この映画は悪行と暴力に関する映画だ。この悪の都市において、支払いや取引は暴力という貨幣を用いて行われる。この人物達が皆、一種の暴力的な主従関係、脅迫関係、対立関係をなしている。ジャンルの特性上、描写の仕方が勝負を分かつだろうと考えた。だから最大限に追い込んだ。

Q. 暴力の程度や感情の過剰さに同意できない部分もあるが、シーン自体の完成度においては凄まじかったと思う。カーチェイスや葬式場のシーンは特に、ハリウッドでも涎を垂らして欲しがりそうな撮影方式と完成度だった。
A. ハリウッドの方は喜びはしても使いはしないだろう。人の無意識を悪意的に扱えば居心地が悪くなって当然だ。この映画に極度の反感を示す人々は、あるいは私の意図に引っかかったのだと思ったりもする。その方々もひょっとすると時が経ち、暴力の残影が消えた後は、違う感じ方ができるかもしれないと思う。

Q. 具体的には?
A. 誰もが、心の中に悪魔の影が差しているのだと思う。それは深遠に横たわっているので、表に出さずに済めば幸せなことだが、それがうごめくと巨大なヘドロを巻き起こす。人間のあらゆる欲望は自分が所有してはならないものへの過度な執着からもたらされる。望むものを手に入れるために、あまりにも自然に暴力を行使する者達がいるが、そうしていくとパク・ソンベ(ファン・ジョンミン)やキム・チャイン(クァク・ドウォン)のような人となるのだ。この映画が見せるそういった部分について、いつかは共感してもらえるのではないだろうか。

Q. この映画はメッセージを与える映画ではないと思う。ただ地獄を見せてくれるだけだ。
A. そうだ。私は教訓を与える映画が嫌いだ。説教する映画を嫌うためそうはしなかったが、人物配置を通じて逆説を語りたかった。自分だけが正しいと、自分の信念にのみ従えという人のために世の中が滅びゆくということを話したかった。自分に陶酔している人物は口では人の言葉に耳を傾けるように見えるが、決して人の言うことを聞かず、過ちを自ら認めたりもしない。

私が最初に『アシュラ』のシナリオの題名を『反省』と銘打った理由は、反省しない人物達が出てくる話だったからだ。唯一ハン・ドギョンのみは反省し、後悔する。自発的な悪人ではなく、最後には反省をするので、彼は半人半獣である。

Q. あなたの作った『ビート』と『太陽はない』は当代で最も若々しい映画だった。それから20年が経った今も『アシュラ』のようにマグマのような映画を送り出せる秘訣は何なのか?その若々しい感覚の秘訣は?
A. 若々しいとは、老い先が短いのに…はは。本気でそう見てくれたなら、私が良いスタッフを使ったからだ。能力のあるスタッフを使い、上手くやれと責め立てればいい。(笑)監督は姑だ。

Q. 突拍子のない質問だが、『英語完全征服』(2003)はどうして作ることになったのか?当時、キム・ソンス監督が好きだった一人の観客として不思議でならなかった。もちろんその映画は劇場で観た。
A. そうか?ありがたい。その映画は、私が作ったナビ・ピクチャーズという会社で準備していた映画だった。『達磨よ、遊ぼう』を作ったパク・チョルグァン監督が演出することになっていたが、撮影前に「できない」と言ったのだ。他の映画の準備をしたいという人に無理にやらせるわけにはいかなかった。急いで監督を探そうとしたが、私達が希望する監督とは話がつかなかった。投資会社が「(キム・ソンス)監督がやるしかないんじゃないですか」と言ったので、責任感から私が演出することになった。

Q. キム・ソンスとはまるで似つかわしくない映画だったが、想像もつかなかった変身という意味では面白かった。
A. 映画はコケたが、本当に楽しかった。コメディー映画は現場でも本当に面白い。あの当時は本当に楽しく撮ったが、不思議なことに映画が終わってみると思い出せなくなっていた。あの当時に感じた雰囲気もよければ、スタッフとも和気藹々に笑い合いながら撮ったのだが、苦労をしなかったからだろうか。幸せとは何気ないものだなと思った。

Q. 振り返ってみると、長くつ下のピッピのようなスタイルで英語初心者を演じたイ・ナヨンの変身にも驚いた。
A. そうだ。宇宙人のような俳優だ。見た目もそうだが、行動もぶっ飛んだところがある。しかも本人もそれを知っている。「監督、わたし、宇宙人みたいだと思いませんか?」こんなこともよく言っていた。先日、ウォンビンさんと結婚したという知らせを聞いた。お祝い申し上げたい。

Q. 『武士』(2001)以降、『風邪』(2013)までに何と12年間も演出の空白期間があった。その時間はどう過ごしていたか?
A. 韓国芸術総合学校の映像院にて3年間教鞭を執り、中国で映画会社を設けて中国映画を企画し、作ったが、大コケした。その過程で感じたことは、私のような人は教授をやってはならず、事業をやってはならないということだ。もちろん、それと同時に映画の準備もしたが、いろんなものを同時に上手く進行させることができなかった。

Q. 『風邪』もやや意外な選択に思えた。
A. これからは映画演出だけをやりながら千万監督として復帰しようという覚悟で臨んだ映画だが、多くの努力をしたものの上手くいかなかった。その映画を通じて、私に実力がないということを痛感した。

Q. わざと自身を過小評価しているように思える。私達の時代においてあなたは最高だった。『ビート』は今でも多くの人が挙げる最高の青春映画だ。
A. 『ビート』の公開当時は人々がそこまで熱狂しなかった。人々はウォン・カーウァイの真似事をしていると批判したりもした。ところが公開から6ヶ月ほど経つと反響が起きた。気が付くと私は有名人となっており、コ・ソヨン、イム・チャンジョンと芸能番組に出たりもした。周りの映画人達は「お前がどうしてテレビに出てるんだ」と文句を言った。(笑)

Q. デビュー作『ラン・アウェイ』(1995)はやや失望を感じる作品だったが、『ビート』を作るまでの2年の間に何があったのか?
A. うむ…しいて理由を見出すとすれば、パク・グァンス監督の助監督をやっていた頃に作った短編映画が、海外の映画祭に何度も招請された。そのとき、パリに留まりながらベルリンなどヨーロッパのいくつかの都市と北アフリカを旅行したが、それが印象的すぎた。ヨーロッパの文化や人々に接しながら、韓国が非常に窮屈であるということを感じた。そのとき感じたことの一つが「今日学んだことを今日使うことはできない」ということだ。今日学んだことが自分の中に体化するまで、少なくとも2~3年はかかった。そういった視覚的衝撃と考えの変化が、『ビート』や『太陽はない』を作るのに多くの影響を与えたように思う。

Q. ヨーロッパの旅から2~3年後に作った映画が『ビート』だったということだが、自伝的な話が投影されていると聞いている。
A. 『ビート』で有名になると、友人達が私を自慢に思うようになった。それまでは「バカ野郎、お前が映画を作るだと?」とからかったものだが…『太陽はない』公開時、友人達をミョンボ劇場に呼んで観せてあげたことがある。映画を観た友人達が、口を揃えて「おい、なぜ俺が映画に出てるんだ」と言っていた。まったく…その映画の中に、私と友人達の姿があることは事実だ。

Q. 「知った上で行うべきだ」というような鉄則を持っているように思える。
A. 知っていても、上手く映画にすることは難しい。それでも自分が知っていることをやるべきだと思っている。



キム・ソンス監督「勝利の回数よりも、どんな種類の戦いをしたかが大事」
(2016-10-11)*以下のインタビューは、映画のネタバレを含みます。

Q. タバコを吸っても構わない。
A. タバコはやめた。健康になって映画に邁進するために。2005年8月16日にやめたので、かなり経つ。韓国芸術総合学校で教授をやっていた時だった。

Q. 教授としてのキム・ソンスはどうだったか。
A. 教授をやってはいけないと思った。(笑)映画が語りかける方式や話法は「当代の言語」を使うべきだと思う。今の時代の言語に密着している若くて才気あふれる子達に対し、過去から渡ってきた人が、私達の言語で映画を作ってみようと話すのは可笑しい事だと思った。

Q. 当代の言語というものは、必ずしも若者層の言語だけではないのでは?
A. 若者層の言語とは限らないが、とにかく映画というものは想像と夢の要素があるため、同じ話を同じ言語で繰り返すと観客は関心を持たない。私が幼い頃、兄がよく聴いていた音楽を好きだったが、『太陽はない』(1998)に収録された音楽が、そのときに聴いていた音楽だ。ところが中学校に上がると、その歌から前のように面白みを感じなくなっていた。その時は姉が聴いていたポップソングが好きだった。それから大学生になると、また音楽の好みが変わった。結局、音楽―映画のような大衆芸術は、その時代に合ったリズムで変奏した時、人々が耳を傾けるのではないかと思う。

Q. 思えば『ビート』(1997)があの時代の若者に爆発的に受けたのも、「当代の言語」を正確に突いていたからだと思う。『太陽はない』も同様だ。
A. しかし評価は芳しくなかった。(笑)

Q. 言われなくてもインタビューに来る前に調べてみたが、公開当時は評価が厳しかったという。
A. そうだ。時間が経つにつれ、徐々によくなった。

Q. 作品が時間に耐え、再評価されたわけだ。
A. 長く生き残る映画というものが存在すると思う。観客数によりその映画に対する評価が終わったかのように見えるが、ある映画はより長く生き、広く影響を及ぼす。特に映画監督達に影響を及ぼす映画がある。そんな映画を作る事が監督達の本当の夢だ。簡単に揮発せず、長く残像を残す映画。そんな映画は監督達に伝染し、映画作りについて熾烈に悩むようにさせる。

Q. あなたに影響を及ぼした監督の映画は何なのか。
A. サム・ペキンパーのほぼすべての映画。黒澤明の映画達。私に深く刻まれた映画達だ。一つだけ挙げろというなら、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『恐怖の報酬』(1953)という映画だ。イヴ・モンタンが主演を務めた。『アシュラ』後半作業をしながら再び取り出してみたが、そのような映画を作れるならこの上ない栄光だろうと思った。

Q. 『アシュラ』に対する評価が極端に分かれているが、個人的にも、この映画も時間が経つほど愛されていくだろうと確信している。
A. そうなるとすごく嬉しい。『アシュラ』は成功の是非はともかく、個人的に私の夢を叶えた作品だ。これは私の人生の一作だからだ。既存の作品達と違い、今回は私が作品に深く溶け込みすぎてしまった。私を完全に投射した映画だ。この映画が人々にとって新鮮な衝撃になることを望みながら撮った。人々を揺るがしたかったし、良い意味で居心地悪くさせたかった。

Q. 良い意味で居心地悪くさせたかったというのは、具体的にどういう意味か。
A. よく見知っていることが、違う風に伝わってほしかった。観客達が映画を観て「これはなぜこうなんだ?」「ああ、こうだからこうなのか」という連鎖作用に見舞われてほしかった。実は、私自身もこういう話を書くためには少しばかり勇気が必要だった。「ここまでしていいのか?」と思った。今の俳優達がキャスティングされたとき、周りの人達が口を揃えて言っていた。「シナリオを書き直して、面白い映画にするべきじゃないのか?」と。一瞬「そうだ、本当にそうすべきなんじゃないのか?」と思ったりもした。しかしサナイ・ピクチャーズのハン・ジェドク代表がこう言った。「監督、この映画を本当に撮りたいですか?思ったとおりにやりたいですか?ならば有名な俳優達が来て、監督の周りでバリアを張る必要があります。そうすると投資を得て作品を世に出すことができます」と。夢の俳優達がキャスティングされたときはこうも言った。「最後まで行く作品を撮るために俳優達を呼び寄せたのですから、監督、揺るがないでください。本当にやりたいようにやってください」と。こんな製作者に出会えるとは。幸福な仕事だったとしか言いようがない。

Q. 話を聞いてみると、酷評についても十分に予想していたかのようだ。
A. 予想どころではなく、当然そのような評価をされるだろうと思っていた。しかし、観客は時間と金をかけて観た方々なので、そう言う資格がある。そして私がその批判を受けてもあまり気分を害しない理由は、少なくとも快感と楽しみとヒットのためにこの俳優達を消費してはいないと信じているからだ。私が考える価値ある物語を作るために、この俳優達の助けが必要だったのであり、共に熾烈に作り上げた。

Q. A級俳優達が奈落に向かって果敢に疾走する映画に出会うことは、忠武路では珍しい興味深い経験と言えそうだ。
A. 俳優達には感謝しきりだ。私よりもこの仕事を楽しんでくれた。そのため、自然と「チームワーク」が出来上がった。

Q. 『無頼漢』のオ・スンウク監督との対談(σ)で、あなたはこんなことを話した。「オ・スンウク式のノワールでは、決定的な事件そのものよりは、事件の波長で生じる人物の情緒的な揺れに注目する」と。その言葉をもじって質問するなら、「キム・ソンス式ノワールは、決定的な事件そのものよりは、人物同士の喰って、喰われる関係から派生する破裂音に注目」したかのようだ。
A. そうだ。『アシュラ』はストーリーのない映画だ。この映画に出てくるすべてのセリフはあっても、なくても構わないものだ。映画の中の誰一人として真実を話さないからだ。遠まわしな言い方や軽口、擬声語や擬態語のみを口にするときもある。だが、「人物と人物」の間で芽生えるエネルギーを撮ることがこの映画の核心だった。そのエネルギーを収めるためには人物達が絶えず衝突する必要があり、その動線が非常に大事だった。ハン・ドギョンがパク・ソンベ(ファン・ジョンミン)と葬式場で向かい合って座りコップを噛み締めるシーンは多くの動きを必要としなかったが、そのシーンを除く全ての部分で、人物達は動く必要があった。その動きをイ・モゲ撮影監督はキャラクターの動線を阻まない範囲で多角的に撮影し、照明監督は人物に光が当たる瞬間などを細分化させ、ミザンセンを設計した。

Q. 俳優達のきめ細かいリハーサルが必要だったのでは?
A. 作品に取り掛かる前に俳優達にお願いした。「1時間早く出てきてリハーサルをしてもらえないか」と。そう言うとファン・ジョンミンが「俳優が早く来てリハーサルをやるのは当然だ。演劇はワンシーンのために何ヶ月もやる。望むところだ」と話した。クァク・ドウォンとチョン・マンシクは元々演劇に慣れていてる人達だ。チョン・ウソンはもちろんOK!チュ・ジフンも最年少のメンバーとして自然とついてきた。最初は本当に俳優達が1時間ずつ早めに来て練習をしたが、撮影を重ねるにつれその時間が30分に減り、後になると練習はほとんど必要なくなった。俳優達が私より人物をよく見ているので、あえて私がディレクティングする必要もなかった。監督として不思議な経験だった。

Q. チョン・ウソンは多くの人々が認めるジェントルなイメージの俳優だ。そんなチョン・ウソンを悪の極限まで追い込む映画だ。俳優個人としても、彼をよく知る監督の立場からも既存のイメージをひねりたいという欲求があったのでは。
A. この映画に登場する人物達がすべて怪物だとすれば、ハン・ドギョンは比較的、「半人半獣」に近い存在だ。唯一、反省し、苦悩するからだ。そのイメージによく合うだろうと思った。ならばハン・ドギョンはいかにして奈落への歩みを進めるか。巨大な悪人達の前で主人公が立ち向かう唯一の方法は、自らを消滅させながら引き金を引くしかないと考えた。悪の世界で悪党達を全滅させる事はできないからだ。

Q. 悪党を全滅させる事はできないのか。
A. どうしてできようか!今の私達の周りを見てくれ。悪の前で手も足も出せていない。時代が悪に染まるとその時代の人々も伝染するようだ。近頃〇〇〇大(訳注:梨花女大=梨花女子大学)事件を見て改めて感じた。教授達が学生達を見捨てるのを見て「もう教授もただの職業人か。職業に害となる行動は一切しないのだな」と思えて、やるせなかった。

Q. 善なる本性を持つ人ならば、環境に打ち勝てるのではないか。
A. 私は人間は悪でも善でもないと思う。善と悪の間を行き来しつつ、煩悶しながら生きるのが人間だ。ただ、善が通用し、尊敬される時代においては、子供達もより善良な子になるために努力するはずであり、他人を踏み躙って勝利することでセールス王となる社会では、人も悪の方へ進むと思う。「奪われる側に回るのは愚かだ。勝つべきだ。そうすると残りの99名がお前の犬-豚になる」と教える社会で、子供達は何を見て感じるだろう。

Q. 『アシュラ』は色々と興味深い映画だが、狭く使用した空間が印象的だった。人物達を狭い空間に閉じ込めるような印象を覚えた。
A. それが今回の作品のメインコンセプトだった。厳密に言って『アシュラ』は葬式場に悪人5人を閉じ込める映画だ。葬式場へ行くまでの旅程だ。最初は広い空間を見渡すが、徐々に狭くて密閉した空間へと入る。狭くて暗く、果てが知れない場所を進みゆくと葬式場に出くわす構造となっている。それから、最初にアンナムという仮想の都市には昼と夜が共存する。しかし、進めば進むほど昼の頻度が減っていく。夜と昼の境界が消えていき、カーアクションの後は夜だけが存在する。さらに窓も閉まってしまう。窓の外は無意味な空間となり、葬式場を訪れると、窓すらも完全に消える。

Q. 閉じた扉へ向かう映画というわけだ。カメラアングルといい、美術、照明、編集、それらが総力を挙げて観客を崖っぷちにまで追い込む。
A. そうやって世界の果てまで追い込まなければ、主人公は自らの主に噛み付かない。観客が一度は地獄を経験してみることを望んだ。それで、俳優達が言っていた。「これは少し精神を病ませる映画のような気がする」と。(笑)

Q. 『アシュラ』の暴力が強烈に感じられるのは、その表現の強さよりも、暴力を展示する仕方のせいだという気もした。人物達を収めるビジュアルも一風変わっている。
A. 編集ポイントをズレさせた。多くのアクション映画での暴力は、観客がカタルシスを感じる方に重点をおいて撮影する。そのため、主人公の正義感は表現するが、殴られる悪党の表情や苦痛を人格的に表現したりはしない。ルールと慣習に従って撮れば快感が増幅するが、そのようなポイントを全て避けた。この映画は善の暴力が悪の暴力に勝つのではなく、暴力の世界に封じ込められた人間達が暴力的な関係を結んで壊滅する話だからだ。ホ・ミョンヘン武術監督とイ・モゲ撮影監督に、その感覚が上手く伝わる方式を探してほしいと頼んだ。

イ・モゲ監督が気にしたのはカメラの位置だ。たとえばハン・ドギョンが棒切れ(キム・ウォネ)の顔を殴るときのアングルは、実はあまり使われない角度だ。打撃を受ける人のみならず、殴る人の瞬間的な反応もすべて撮るので、より強烈に見える面もあるはずだ。チョン・ウソンがキム・ウォネを叩くのは嘘ではない。ウォネさんの顔に保護装備などを付けて撮り、その後、それをCGで消した。サウンドもゾッとするような音を選んで使った。

Q. そういった執拗なシーンを作り上げるのは容易ではなかったはずだ。会議も多かったのではないか。
A. 多かった。雨を降らせて撮ったカーアクションの場合、カットを分けて撮らなかった。編集ポイント以上の、感情が暴走する瞬間までも収めようとした。撮影の仕方について、物凄い数の会議を重ねた。難関が多すぎたので、ふと「ここまでしていいのか」と思ったりもしたが、そのたびにスタッフ達が「監督、これが我々のコンセプトなのですから、やるべきです!」と言った。また誰かが「監督、ここはもうカットを分けましょう!」と言うと、そのときは私の方が「いや、それでも何とか方法を探してみよう」と言って、ここまで来た。そうして私達の悪意に満ちた意図を全て活かし、観客を最後の葬式場まで追い込みたかった。

Q. 最近『ビート』を再鑑賞した。改めて、20年前の映画なのにアクションがかなり強烈だと感じた。
A. 楽しく撮った映画だ。チョン・ドゥホンが武術監督を務めた映画でもある。

Q. そのチョン・ドゥホン監督の弟子達と『アシュラ』を撮ったわけだ。(笑)
A. チョン・ドゥホンという人を取り除けば、韓国映画の系譜は成立しなくなるのだ。(笑)

Q. 『ビート』はチョン・ウソンの青春を思い出させる映画だが、キム・ソンス監督の青春が宿る映画でもある。
A. 当時36歳だったはずだ。デビュー後の2作目の映画なので、私の青春の記憶が色鮮やかに残っている時期なのは確かだ。今となっては古すぎる記憶だが、あの時は自分でも若いと思っていた。

Q. パク・グァンス監督の演出部の出だと聞いている。当時の話が聞きたい。
A. 韓国映画ニューウェーヴの第1世代としてよく挙げられる3人の方が、パク・グァンス ― チャン・ソンウ ― イ・ミョンセ監督だ。その方々の子孫が広まって映画を作っていることになるが、私はパク・グァンス監督の弟子だった。パク監督の弟子も少し分かれるが、私と同門だったのはイ・ヒョンスン ― ヨ・ギュンドンだ。私達の次の世代がホ・ジンホ ― オ・スンウク ― パク・フンシク ― イ・チャンドン ― チャン・ムンイル監督などだ。パク監督は弟子達によくしてくださる方だった。頻繁に会い、酒を飲みながら話し合った記憶がある。今もパク監督は、弟子達の映画の現場に必ずお越しになる。

Q. パク・グァンス ― チャン・ソンウ ― イ・ミョンセ派(?)のそれぞれの特徴があるだろうと思う。大衆には読み取れない特徴が。
A. 映画のスタイルは皆、少しずつ違うが、同じ方から学んだため、作業方式などにおいて類似性がある。私達が集まればこう言う。「おい、お前、監督とポーズがそっくりだな!」「兄貴だってそっくりだろ!」(笑)

Q. 2003年の『英語完全征服』から2013年の『風邪』まで、演出の空白期間が長かった。
A. その間、製作も行い、中国に渡り中国映画も作った。

Q. 考えてみると、あなたは本当の中国進出第1世代だ。
A. それにおいては第1世代だ。(笑)1999年度に中国へ映画を撮りに行くと言ったとき、皆が反対した。正気じゃないとまで言われた。私から見ても厳しい状況だった。それでも当時は若さと覇気があったため、やるといったら最後までやった。その年の11月だったか…妻に「中国へ行くつもりだが、いつ帰ってこられるか分からない」と言って、助監督と製作部を連れて中国へ行き、部屋を借りて暮らした。そうして2000年の夏、『武士』を中国で撮った。

Q. 中国のどういった面にそこまで惹かれたのか。
A. まず、料理が美味しすぎる。(笑)二つ目は、私が幼い頃に近所で見かけたおじさん、お兄さんやお姉さんのような方々が、皆、そこに暮らしていた。社会主義の社会は短所が多いが、長所も多い。人々が謙虚で、序列がない。資本主義の欲望に毒されすぎていないのだ。私が主に地方都市でロケハンを行ったせいか、そういった雰囲気をより強く感知したようだ。そして中国は、私達が幼い頃に古典として読んだ「三国志」「道德経」といったものの本場ではないか。源流があるところだから、それがよかった。『武士』を撮って韓国に戻り、韓国芸術総合学校の教授を始めたが、その時、韓国の学生と中国の学生の交流があった。それをきっかけに再び中国を行き来する過程で、中国に会社を作ってしまった。ジャンシャアという当時一緒に組んだ女性代表は、このたび『密偵』の中国プロデューサーも務めた。

Q. 中国で作った製作会社(北京ナビ・ピクチャーズ)は…
A. 木っ端微塵だ。準備していたプロジェクト達が全て上手くいかなかった。完全に潰れて畳んでしまった。(笑)涙もたくさん流した。近頃韓国と中国が組んだプロジェクトが増え、いろんな連絡が来るようになったが、すべて断った。愛憎があるのだ。監督としてでなければ、再び北京へ行くことはなさそうだ。失敗はしたが、素敵な時間だったと思っている。私の若かった時期の一部をそこに埋め、思い出が残っているのだから。

Q. あの頃の思い出が残した意味があるはずだ。
A. もちろんだ。(体を前のめりにして)記者さん!私は成功も失敗もしてみたが、成功は甘いが大して役に立たない。失敗すれば誰も失敗の理由を聞かないし、マイクを突きつけられもしないが、その代わり、多くのことを学ぶようになる。コメディアンのキム・グクジンが以前こんなことを話した。成功すれば「少し」分かるようになると。多くの人がどうやって成功したのかを聞くと。その反面、失敗をすると「すべて」分かるようになる。しかしそのときは誰も質問してこない。(一同嘆息)人が悟りの段階へ向かうには「失敗の階段」を踏む必要があると思う。

Q. 最初から完成されている人間は多くないのだから。
A. 天性の者達もいるはずだ。そんな天才達を除き、それ以外の人々はどういう経験をして進むかにかかっていると思う。劉備と曹操の成長譚でもある「三国志」を見ると、二人は絶えず戦争を行う。しかし二人が戦争で勝った回数はそう多くない。敗北の経験の方がむしろ多い。そんな二人を見ながら思った。勝利の回数が大事なのではなく、どのような種類の戦いをするかが、その人の「今」を作るんだと思う。映画も同じだ。ヒットした作品に出演した俳優ではなく、良い作品で苦闘した俳優達を私達は認めるではないか。

Q. どんな気持ちで『アシュラ』を作ったのかがピンと来た。
A. 人に褒められる、ヒットする映画を撮ろうとしたこともあった。しかしそれが上手く行かないと、その虚しさを補う術がなかった。「次の映画は私が後悔しない映画」を撮りたかった。それが『アシュラ』だ。『アシュラ』は私が私自身に対して恥じないことを願いながら撮った映画だ。

Q. 長い間、映画と共に歩んできた。環境が変わっても、演出者として守り通したいものがあるとすれば?
A. あまりにも多くの誘惑と無駄な欲望に時間を使いながら過ごしてきた。監督としての私にどれだけの生命と機会が残っているか分からないが、私の歌いたい歌―私が知っている音程で物語を作ることに時間を注ぎたい。